- 最期までの経緯と死因 - 突然の別れ
- 貧困から上方落語家への道 - 波乱の人生
- スピード感ある語り口と身振り - 独自の芸風
- 知られざる素顔 - 意外なエピソード
- 芸能界での活躍 - 多才な表現者として
借金取りが毎日来る家で育ち、両親が蒸発…。
そんな極貧の少年が、後に上方落語の爆笑王と呼ばれる存在になる—。
、桂雀々(じゃくじゃく)さんが64歳で亡くなりました。
その波乱に満ちた人生と、最期まで笑いを届け続けた男の物語をお伝えします。
最期までの経緯と死因 - 突然の別れ
桂雀々さんは、茨城県内のゴルフ場でプレー中に突然倒れ、救急搬送されました。
一時は回復の兆しを見せたものの、11月に入って再び体調を崩してしまいます。
所属事務所によると、持病の糖尿病が原因で肝臓の機能が急激に低下。
には年内予定していた全ての落語会の休演を発表していました。
そして、64歳という若さで永眠されました。
葬儀は近親者のみで執り行われ、後日お別れの会が開かれる予定とのことです。
このように、桂雀々さんの最期は突然のものでした。
しかし、彼の人生そのものが、まさに劇的な展開の連続だったのです。
では、その波乱万丈な人生を、最初から見ていきましょう。
貧困から上方落語家への道 - 波乱の人生
桂雀々さんの生い立ちは、想像を絶するものでした。
子供の頃、母親が突然蒸発。
父親は博打好きで、毎日のように借金取りが家にやってきたといいます。
生活に困った雀々さんは、借金取りからお金を借りることもあったそうです。
そんな中、中学3年生だった、運命の転機が訪れます。
TBSテレビ「ぎんざNOW!」の『素人コメディアン道場』に「花より団子」という名前で出演。
大阪弁での巧みな話芸で人気を集め、見事チャンピオンに。
この時の活躍で、大手芸能プロダクションからスカウトされたものの、彼は別の道を選びました。
、17歳で「上方落語の爆笑王」と呼ばれた二代目・桂枝雀さんに入門。
同年10月、名古屋で初高座を踏みます。
スピード感ある語り口と身振り - 独自の芸風
桂雀々さんと言えば、まるで機関銃のように繰り出される軽快な話芸が特徴でした。
大きな身振り手振りを交えた熱演は、会場を笑いの渦に巻き込んでいきました。
特に代表作「地獄八景亡者戯」では、白装束に三角頭巾という独特の出で立ちで高座に上がり、観客を魅了。
には全国の地獄や閻魔にゆかりのある地域を巡るツアーを開催し、大きな話題となりました。
、51歳で思い切った決断をします。
大阪でやれることは全てやった
と語り、活動拠点を東京へ移したのです。
以来、寄席やテレビドラマなど、幅広い活動を展開していきました。
知られざる素顔 - 意外なエピソード
実は桂雀々さんの芸名には、面白いエピソードがあります。
上岡龍太郎さんによれば、師匠の枝雀さんが「じゃくじゃく」という響きを気に入り、本当は自分が名乗りたかったという話も。
また、大の音楽好きとしても知られ、サザンオールスターズの桑田佳祐さんや山下達郎さんと親交があったそうです。
さらに意外なことに、園田学園女子大学で「非言語コミュニケーション論」の非常勤講師も務めていました。
芸能界での活躍 - 多才な表現者として
、NHKのドラマ「贋作 男はつらいよ」で寅さんを演じ、新たな寅次郎像を表現して話題に。
TBSドラマ「陸王」では銀行支店長役を演じ、その演技力の高さを見せつけました。