- 渡辺恒雄氏とは?新聞とプロ野球、2つの世界で影響力を持った理由
- 読売新聞での道のり - 1000万部突破の立役者
- プロ野球・巨人軍での功績と騒動
- 知られざるエピソード - 最期まで社説をチェック
- 渡辺恒雄氏が残した"遺産" - メディアと球界への影響
亡くなる数日前まで社説をチェックし続けた――。
未明、日本のメディア界とプロ野球界に大きな足跡を残した渡辺恒雄氏が、98歳で逝去しました。
新聞社のトップでありながら、巨人軍オーナーも務めた異色の経歴の持ち主。
なぜ、この人物は2つの世界でこれほどまでの影響力を持ち得たのでしょうか?
渡辺恒雄氏とは?新聞とプロ野球、2つの世界で影響力を持った理由
、東京都で生まれた渡辺恒雄氏。
東京大学を卒業後、に読売新聞社に入社しました。
その後、ワシントン支局長や政治部長などの重要なポストを歴任し、には読売新聞社の社長に就任します。
でも渡辺氏の影響力は、新聞社だけにとどまりませんでした。
には読売巨人軍の経営にも携わり始め、後に球団オーナーとして球界にも大きな影響を与えることになります。
このように、新聞とプロ野球という、一見まったく異なる2つの世界で大きな影響力を持った渡辺氏。
では、どのようにして読売新聞を日本一の発行部数へと導いていったのでしょうか?
読売新聞での道のり - 1000万部突破の立役者
渡辺氏が社長を務めていた、読売新聞の発行部数が初めて1000万部を突破します。
これは新聞史上、世界でも例のない快挙でした。
には1031万91部という最高記録も達成しています。
なぜこれほどまでの発行部数を達成できたのでしょうか?
その秘密は、「報道の中立性」と「提言報道」という2つの柱にありました。
特にに発表した「憲法改正試案」は、当時タブー視されていた憲法改正の議論に一石を投じ、大きな反響を呼びました。
このように新聞界で大きな実績を残した渡辺氏。
その視線は次第にもう1つの世界へと向けられていきます。
一体どんな野望を抱いていたのでしょうか?
プロ野球・巨人軍での功績と騒動
、渡辺氏は読売巨人軍のオーナーに就任します。
その影響力は巨人軍内にとどまらず、プロ野球界全体に及びました。
例えば、現在では当たり前となったFA制度の整備を進めたのも渡辺氏の功績の1つ。
また、ドラフト会議での逆指名制度の導入も、渡辺氏の時代に実現しています。
一方で、の球界再編騒動では、「たかが選手が」という発言が大きな波紋を呼び、同年には「一場問題」という不祥事も発覚。
これらの責任を取る形でオーナーを辞任することになります。
しかし、そんな渡辺氏の情熱は最期まで衰えることはありませんでした。
では、晩年の渡辺氏はどのような活動を続けていたのでしょうか?
知られざるエピソード - 最期まで社説をチェック
98歳という高齢にもかかわらず、渡辺氏は今年11月末まで定期的に出社し、役員会や社論会議に出席していました。
さらに驚くべきことに、亡くなる数日前まで社説の原稿をチェックし続けていたと言います。
からにかけては、NHKの長時間インタビューにも応じ、昭和から平成にかけての貴重な証言を残しています。
このように最期まで現役であり続けた渡辺氏。
その生涯を通じて、どのような"遺産"を私たちに残したのでしょうか?