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【追悼】西田篤史さんが68歳で死去|486回連続出演「週刊パパたいむ」が伝えた広島の絆

 

 

西田篤史 週刊パパたいむ

西田篤史 週刊パパたいむ


 

広島の情報番組といえば、誰もが思い浮かべる笑顔があった。

「週刊パパたいむ」486回連続出演という記録を打ち立て、30年以上にわたって広島の情報を届けてきた西田篤史さんが、未明、68歳で亡くなった。

病気との闘いの末、広島市内の自宅で息を引き取った西田さん。その訃報に、広島の街には深い悲しみが広がっている。


西田篤史さんの突然の訃報、広島に広がる惜しみの声

 

「ここまで応援していただいた広島のみなさまに感謝申し上げます」

 

遺族はコメントを発表。葬儀は近親者のみで執り行われ、後日「お別れの会」が開かれる予定だという。



 

西田さんは広島県庄原市の出身。地域に根差した情報番組の司会者として、30年以上にわたり広島の視聴者に寄り添い続けてきた。


 

西田篤史 RCC

西田篤史 RCC


 

多くの視聴者にとって、西田さんは「広島の"パパ"」として親しまれていた。特に「週刊パパたいむ」での486回連続出演は、地域放送の記録としても特筆すべき功績となっている。

このように、西田さんの訃報は多くの広島県民に深い悲しみをもたらしました。では、そんな西田さんは、どのようにして広島を代表する情報番組の顔となっていったのでしょうか?


大学生時代からの歩み〜広島修道大学からRCCラジオへ

西田さんのメディアでの活動は、広島修道大学3年生の時に始まった。当時のRCCラジオへの初出演が、その後の長いキャリアの出発点となった。



 

大学卒業後、西田さんはフリーとして活動を開始。ラジオからテレビへと活動の場を広げていった。

 

「最初は緊張していた放送も、リスナーの声に支えられて続けることができました」

 

と、西田さんは後年インタビューで語っていたという。

このように、大学時代の一歩が、その後の西田さんの人生を大きく変えることになりました。そして、西田さんの代名詞となる番組がスタートします!


「週刊パパたいむ」で築いた486回連続出演の記録

 

西田篤史 週刊パパたいむ 司会

西田篤史 週刊パパたいむ 司会


 

にスタートした「週刊パパたいむ」。この番組で西田さんは、までの11年間で486回という驚異的な連続出演記録を達成した。



 

一度も休むことなく広島の情報を届け続けた西田さん。天候の悪い日も、体調の優れない日も、必ず画面に笑顔を見せた。

「週刊パパたいむ」は、広島の街の魅力や人々の暮らしを紹介する情報番組として、多くの視聴者に愛された。

このように、「週刊パパたいむ」での活躍は、西田さんの代表的な功績となりました。しかし、西田さんの活動は、この番組だけにとどまりません。


広島の情報番組を支えた30年

西田さんは「週刊パパたいむ」以外にも、クイズ番組「クイズクロス5」や夕方の情報番組など、様々な番組で司会を務めた。

特に夕方の情報番組では、日々の広島の出来事を、わかりやすく、時には笑いを交えながら伝え続けた。

ラジオでの活動も継続し、テレビとラジオの両方で広島の視聴者・リスナーに寄り添い続けた西田さん。その活動は、広島の放送史に大きな足跡を残している。


広島の"パパ"が残した足跡

30年以上にわたる放送活動を通じて、西田さんは単なる司会者以上の存在となった。多くの広島県民にとって、西田さんは「広島の"パパ"」であり、画面の向こうの家族のような存在だった。

486回の連続出演記録は、地域放送における驚異的な記録であると同時に、視聴者への強い責任感の表れでもあった。

遺族が語った「広島のみなさまへの感謝」の言葉には、西田さんの広島への深い愛着が込められているように思える。

後日開かれる「お別れの会」では、多くの視聴者が西田さんとの最後の別れを惜しむことだろう。

広島の街に笑顔と情報を届け続けた西田篤史さん。その68年の人生は、地域メディアの可能性と、放送を通じた地域との絆の大切さを私たちに教えてくれている。


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