「目の覚めるような天下の二枚目なのに中身は三枚目」—— 同期の樫山文枝が語った言葉が、伊藤孝雄さんの57年にわたる舞台人生を象徴しています。
、劇団民藝の重鎮として知られる俳優・伊藤孝雄さんが、87歳で多臓器不全のため永眠されました。
、劇団民藝が公式に発表しました。
誠実な「二枚目」の素顔
立っているだけで素敵な人でした
と日色ともゑが振り返るように、端正な容姿と確かな演技力で多くのファンを魅了してきた伊藤さん。
しかし、その内面は意外にもユーモアにあふれた人柄だったといいます。
樫山文枝との関係は、舞台上で恋人役、夫婦役、そして晩年には親子役まで演じ分けました。
この役柄の変遷は、まさに二人の俳優人生の歩みそのものでした。
法学部生から劇団民藝へ
、岩手県に生まれた伊藤さん。早稲田大学法学部に在籍しながら、演劇への情熱を抱いていました。
法学部を中退し、に俳優座養成所(12期)へ入学。
その2年後、劇団民藝の一員となります。
「人質」でのレスリー・ウィリアムズ役が民藝での初舞台。
法律家への道から俳優への転身は、周囲を驚かせたかもしれません。
しかし、この決断が日本の演劇界に大きな足跡を残すことになります。
「汚れた手」で魅せた伝説の舞台
、サルトル作「汚れた手」のユゴー役で、伊藤さんは大きな転機を迎えます。回収不能だ!
という最後の台詞が東横ホールに響き渡った瞬間は、今も多くの観客の記憶に刻まれています。
この年、「汚れた手」と「白い夜の宴」の演技が認められ、紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞。
二枚目俳優としての地位を不動のものとしました。
舞台から映像まで
舞台だけでなく、映像作品でも幅広い役柄をこなしました。
のNHK大河ドラマ「草燃える」での阿野全成役、「徳川家康」での織田信秀役など、歴史ドラマでも存在感を示しました。
映画ではの「密会」でデビュー。
「獣の戯れ」()、「戦争と人間 第一部」()など、日本映画の黄金期を彩る作品に多数出演しています。
最後の舞台まで貫いた俳優魂
、吉永仁郎作「集金旅行」での津村家の番頭役が最後の舞台となりました。
デビューから57年、その姿勢は一貫して真摯でした。
どんな役にも真剣に取り組む姿が目に焼きついています
と樫山文枝は、その仕事への真摯な態度を語っています。
最期まで役者としての矜持を持ち続けた伊藤さん。
その遺志により、御香典、御供花は辞退されました。