日本の伝統芸能・歌舞伎界に大きな損失が訪れました。
歌舞伎俳優の市川團蔵(だんぞう)さんが、、73年の生涯を閉じました。
堂々とした風格とよく通る声で知られ、多くの名舞台を作り上げてきた團蔵さん。
その最期の舞台から、歩んできた道のりをたどってみましょう。
市川團蔵さんはどんな歌舞伎俳優だったの?
歌舞伎界きっての実力派として知られた市川團蔵さん。
特徴的なのは、実に幅広い役柄をこなせる演技力でした。
勇ましい立ち回りが中心の荒事(あらごと)から、年配の役を演じる老け役まで、どんな役でも見事に演じ分けたといいます。
特に印象的だったのは、どっしりとした体格から生まれる存在感。
そして、劇場の隅々まで届く、よく通る声。
この二つの特徴を活かして、敵役から老け役まで、様々な役で観客を魅了し続けました。
尾上菊五郎さんが主役を務める舞台では、その脇を固める重要な役どころを任されることも多く、歌舞伎界になくてはならない存在でした。
「このように、團蔵さんは幅広い演技力と確かな存在感で、歌舞伎界を支えてきた俳優でした。では次に、その歩みの始まりを見ていきましょう。みなさんは、歌舞伎俳優がどのように育っていくのか、想像したことはありますか?」
5歳での初舞台から歩んだ73年の人生
團蔵さんの歌舞伎人生は、とても早い時期に始まりました。
、わずか5歳で初舞台を踏んだのです。
場所は歌舞伎の聖地とも言える歌舞伎座。
演目は『義経千本桜』でした。
このとき、團蔵さんは「初代市川銀之助」という名前で舞台に立ちました。
歌舞伎界では、実力に応じて名前を襲名(しゅうめい)していきます。
これは単なる名前変更ではなく、先代の技術や精神も一緒に受け継ぐ、とても重要な儀式なのです。
その後、二代目尾上松緑さんに師事し、着実に実力を積み重ねていきました。
には、いよいよ九代目市川團蔵を襲名。
歌舞伎界の重鎮として、本格的に活動を始めることになります。
「このように、團蔵さんは幼少期から歌舞伎一筋に生きてきました。では、その長い歳月の中で、どんな名舞台を作り上げてきたのでしょうか。團蔵さんの代表作をご紹介していきましょう。」
團蔵さんの代表的な役柄と魅力
團蔵さんの代表作として、特に評価が高かったのが『義経千本桜』の武蔵坊弁慶役です。
弁慶といえば、歌舞伎の中でも特に人気のある役の一つ。
團蔵さんは、その堂々とした体格と声量を活かし、説得力のある演技で観客を魅了しました。
また、『髪結新三』の弥太五郎源七や、『盟三五大切』の六七八右衛門など、個性的な役柄も得意としていました。
特に敵役を演じる時の迫力は、観客を釘付けにしたといいます。
には重要無形文化財(人間国宝)の総合認定を受けています。
これは、歌舞伎役者として最高の評価の一つといえるでしょう。
「このように、團蔵さんは様々な役柄で高い評価を得ていました。そして2024年5月、最後となる舞台を迎えることになります。その最期の舞台は、どんなものだったのでしょうか。」
最後の舞台となった『四千両小判梅葉』
、歌舞伎座での『四千両小判梅葉』。
この舞台で團蔵さんは、「隅の隠居」という役を演じました。
この時、誰も這舞台が團蔵さんにとって最後になるとは思っていなかったことでしょう。
しかし、振り返ってみると、隠居役を通じて人生の深い味わいを表現した最期の舞台は、まさに團蔵さんらしい締めくくりだったのかもしれません。
73年の歌舞伎人生で培った演技力と、年齢を重ねて得た味わいが、見事に調和した舞台だったといいます。
「このように、最後の舞台まで魂の込もった演技を見せ続けた團蔵さん。では次に、歌舞伎以外での活動にも目を向けてみましょう。みなさんは、歌舞伎役者がテレビドラマに出演することがあるのを、ご存知でしたか?」
歌舞伎以外での活動と功績
團蔵さんの活躍は、歌舞伎の舞台だけにとどまりませんでした。
テレビドラマでも数々の印象的な役を演じています。
特に注目されたのは、NHK大河ドラマへの出演です。
の『赤穂浪士』では大石吉之進を、の『武田信玄』では足利義昭を演じました。
歌舞伎で培った表現力は、時代劇の世界でも高い評価を受けたのです。
また、日本舞踊の世界でも重要な役割を果たしていました。
柏木流という流派の十代目宗家として、日本の伝統舞踊の継承にも力を注いでいたのです。
後進の育成に込めた思い
團蔵さんは、国立劇場で歌舞伎俳優研修の講師を務めていました。
若手の歌舞伎俳優たちに、自身の経験と技術を伝え続けたのです。
特に大切にしていたのは、基本的な所作や発声の指導だったといいます。歌舞伎は伝統芸能です。基本をしっかり学ぶことが、何より大切なんです
そう語っていたという團蔵さんの言葉からは、後進への深い思いが感じられます。
また、自身の子どもたちの育成にも力を注ぎました。
長男の二代目市川銀之助、次男の五代目市川茂々太郎と、二人の息子も歌舞伎の道を歩んでいます。
「このように、團蔵さんは自身の技芸を惜しみなく後進に伝え、歌舞伎の未来を育てることにも力を注いできました。73年の人生を、まさに日本の伝統芸能のために捧げた方だったといえるでしょう。」