エスパー伊東とは誰だったのか
エスパー伊東という名前を聞いて、ボストンバッグに入る「カバン芸」やテニスラケットをくぐる「軟体芸」など、柔らかい体を使った独特なパフォーマンスを思い浮かべる人も多いでしょう。
しかし、彼はお笑いタレントとしてだけでなく、画家としても才能を発揮していました。
2024年1月16日に63歳で亡くなったエスパー伊東の経歴と芸風について紹介します。
お笑いタレントとしての経歴と芸風
エスパー伊東の本名は伊東万寿男で、1960年12月26日に熊本県南小国町で生まれました。
幼い頃からテレビのバラエティ番組で見た“超人芸”に憧れ、高校卒業後に芸能界を目指しました。
1988年に27歳で「不思議サークル」という団体を主宰し、テレビ出演の機会を得ました。
その後、フジテレビの『投稿!特ホウ王国』や日本テレビの『超人!コロシアム』などで「高能力パフォーマー」として注目を集めました。
上半身裸に黒いタイツ姿がトレードマークで、常人離れした芸を披露し、成功しても失敗しても最後は「ハイ~ッ!」と言ってごまかす天然ボケキャラクターで人気を博しました。
2000年には電撃ネットワークのギュウゾウさんプロデュースでCDデビューも果たしました。
フジテレビの『めちゃ×2イケてるッ!』では、毎年8月に行われる「24時間対抗テレビ」にレギュラー出演し、その絵心も披露していました。
しかし、2018年に股関節を痛めて活動を休業し、その後、多発性脳梗塞を発症し、闘病生活に入りました。
2020年にはTBSテレビの『爆報!THE フライデー』で休業後初のメディア出演をしましたが、言語障害や顔面麻痺の影響で呂律に苦しみながら発言していました。
それでも芸能活動復帰への意欲は失われておらず、爆笑問題からの激励のVTRに対して「また一緒にライブやりたい。早く治して復帰したいです」と返していました
画家としての経歴と作品
エスパー伊東は、元々漫画家志望で、学生時代には絵画コンクールで入選したり、谷村ひとしのアシスタントを務めたりしていました。
芸能界入り後も漫画の連載や占い本の執筆などを手掛けていました。
2003年にはお笑い芸人の鉄拳さんと共著で『エスパー伊東の超能力漫画教室』という本を出版しました。
独学にもかかわらず、画家としても才能を発揮し、抽象的な色彩や形で表現する作風が特徴でした。
2018年には日本選抜美術家協会主催の第44回国際美術家大賞展で都議会議長賞を受賞しました。
その作品は「ガネーシャ守護神」というタイトルで、インドの象頭神をモチーフにしたものでした。
参考文献
- エスパー伊東さん死去、アニメファンも追悼 人気アニソンMVになぜか登場の過去、オタクたちが大爆笑
- 鉄拳、恩人・エスパー伊東さんを偲ぶ「エスパーさんの家にもよく行きました」 得意のイラストも披露
- 立川志らく エスパー伊東さんをしのぶ「大人しくてシャイで、でも目に狂気を…でもとっても良い人」
- エスパー伊東「体力限界」で芸能界引退へ 芸術家に転身
- 【作品】巨匠・エスパー伊東先生が描いた絵はこちら…
- エスパー伊東 - Wikipedia
エスパー伊東の代表的な芸を見てみよう
エスパー伊東といえば、柔らかい体を使った独特な芸でおなじみのお笑いタレントです。
彼はテニスラケットやカバンの中に体を入れたり、ゴム手袋やスプーンを曲げたりするなど、驚くべきパフォーマンスを見せてくれました。
しかし、彼の芸は単なる見せ物ではなく、笑いと感動を与える力がありました。
残念ながら、2024年1月16日に63歳で亡くなってしまいましたが、彼の芸は多くの人々の記憶に残っています。
ここでは、エスパー伊東の代表的な芸をいくつか紹介しましょう。
- 軟体テニスラケットくぐり
これはエスパー伊東の代名詞とも言える芸です。
彼はガットの張っていないテニスラケットのフレーム部分に体を通すことができました。
しかも、その際に服を脱いだり、体を濡らしたりすることはありませんでした。
彼は自分の体を自在に折り曲げて、ラケットの中に入り込んでいきました。
そして、ラケットから出るときには「ハイ~!」という決め台詞を言って、観客を沸かせました。
この芸は、彼が漫画家志望だったころに、アシスタントをしていた漫画家の高橋留美子さんから教わったという逸話があります。
彼はこの芸で、数々のバラエティ番組やイベントに出演しました。
- カバン芸
これもエスパー伊東の有名な芸のひとつです。
彼はボストンバッグの中に全身を入れることができました。
彼はバッグの中に入る前に、バッグの中に何も入っていないことを確認させてから、バッグの口を開けて中に入っていきました。
そして、バッグの中から顔だけを出して、観客に挨拶したり、質問に答えたりしました。
この芸は、彼がカバンの中に入るときに股関節を酷使していたことが原因で、右変形性股関節症を患ってしまいました。
彼は2018年にこの病気を理由に休業を発表し、2019年には人工股関節手術を受けました。しかし、その後も脳梗塞や認知症などの病気に苦しみました。
- その他の芸
エスパー伊東は、他にも様々な芸を披露してくれました。
例えば、ゴム手袋を鼻息で膨らませて破裂させる「爆裂鼻手袋」、
熱いものや激辛のものを笑顔で食べる「ニコニコ食い」、逆立ちしながらロングストローでジュースを飲む「逆立ちロングストロー」などです。
彼はこれらの芸で、観客の驚きや笑いを誘いました。
エスパー伊東は、柔らかい体と笑顔で、多くの人々に笑いと感動を与えました。
彼の芸は、私たちの記憶に永遠に残るでしょう。
エスパー伊東の死去と追悼の声
芸能界やアニメファンからも、彼の死を悼む声が相次いでいます。
エスパー伊東さんは、2018年に右変形性股関節症と診断され、芸能活動を休止しました。
その後は老人ホームで生活していましたが、2019年に脳梗塞を発症しました。
コロナ禍で面会やリハビリが制限され、病状が徐々に悪化していったといいます。
しかし、彼は再び舞台に立ちたいという思いを持ち続けていました。
所属事務所社長のビトタケシさんは、「まだ俺には芸がある」と言っていたと語っています。
エスパー伊東さんの訃報に対して、芸能界からは、谷原章介さんやパックンなどが追悼のコメントを寄せました。
谷原さんは、「人の心を温かくする超能力を使えたと思うんですよ。本当に残念です」と述べました。
パックンは、「本物の芸人ですよ。やってみればわかるんですけど、失敗キャラとかいじられキャラはつらいんですよ。
精神的につらい芸を何十年も貫く、オンもオフもなく、どんな小さい会場でも人の前に立って笑ってもらうのを生きがいにしていたエスパーさんがいなくなるの寂しいですよ。
たくさん笑いを残してくれたことに感謝しています」とたたえました。
また、アニメファンからも、エスパー伊東さんを追悼する声が寄せられています。実はエスパー伊東さんは、人気アニメ「とある科学の超電磁砲」のオープニングテーマ曲のミュージックビデオに出演していました。
カバンの中から半裸で登場するシーンは、インターネット上で話題になりました。
アニメファンは、
「たくさんの笑いを届けてくれてありがとうございました」
「エスパー伊東さんといえばコレで爆笑した記憶が。ゆっくり休んでください」
「オタクたちが大爆笑を起こした。とても印象的でした」とコメントしています。
エスパー伊東さんは、全身を使ったパフォーマンスで多くの人々を沸かせました。数々の笑いを残し旅立ちました。
ご冥福をお祈りします。
参考情報源:エスパー伊東さん死去、アニメファンも追悼 人気アニソンMVになぜか登場の過去「オタクたちが大爆笑」、エスパー伊東さん死去、63歳 18年右変形性股関節症で活動休止、エスパー伊東さんを追悼 谷原章介「人の心を温かくする超能力」、パックン「本物の芸人」
まとめ
この記事では、お笑いタレントのエスパー伊東さんについて紹介しました。
彼は、カバン芸やテニスラケットくぐりなどの柔らかい体を使った独特な芸で人気を博しました。
また、画家としても才能を発揮し、絵本や絵画などの作品を残しました。
残念ながら、2024年1月16日に63歳で亡くなってしまいましたが、彼の芸と作品は多くの人々の記憶に残っています。
彼に心からの敬意と感謝を表します。あなたの意見や感想をお聞かせください。