- せなけいこさん死去、92歳 ── 350万人が愛した絵本作家
- 「ねないこ だれだ」はなぜ50年読み継がれた?
- 父の理解で選んだ絵本作家への道
- 娘がモデル?作品に込められた子育ての記憶
- 世代を超えて愛され続ける理由
「ねないこ だれだ」── この言葉を聞くと、真っ白なおばけを思い出す人も多いのではないでしょうか。
絵本の表紙に描かれた、あの優しい目をしたおばけは、なんと350万人以上の子どもたちを「おやすみ」の世界へ連れて行きました。
その絵本を描いたせなけいこさんが、に92歳で亡くなりました。病院の待合室で見かけたことがある人も多いはず。親子3世代にわたって愛され続けた絵本作家の物語を、みなさんと一緒に振り返ってみましょう。
せなけいこさん死去、92歳 ── 350万人が愛した絵本作家
せなけいこさんは、に東京都で生まれました。本名は黒田恵子さん。1969年、38歳のときに「いやだいやだの絵本」4冊シリーズでデビュー。以来、半世紀以上にわたって子どもたちに寄り添い続けてきました。
特に代表作「ねないこ だれだ」は、発売から50年を超える今でも読み継がれ、驚くべきことに発行部数は351万5000部を突破。これは、東京ドーム7個分の観客数に相当する数字です。
なぜこれほどまでに愛され続けているのでしょうか。その秘密は、せなさんならではの温かい視点と、独特の表現方法にありました。
「ねないこ だれだ」はなぜ50年読み継がれた?
せなさんの特徴は、貼り絵という技法です。色紙を切り貼りして作る温かみのある絵は、子どもたちの心をぐっとつかんで離しません。
病院の待合室には必ずと言っていい位にあった本。何世代ものお子達が見たのでしょう
──これは、せなさんの訃報を受けてSNSに投稿されたコメントです。実際、多くの病院で「ねないこ だれだ」は今でも読み継がれているんです。
特に印象的なのは、作品に登場する真っ白なおばけ。怖がらせるのではなく、どこか憎めない表情で子どもたちを優しく包み込むような存在として描かれています。
この独特の作風が生まれた背景には、せなさんの温かい家族との思い出がありました。
父の理解で選んだ絵本作家への道
実は、せなさんが絵本作家を目指すきっかけとなったのは、お父さんの存在でした。
父は山に行ったり、スキーをしたりするのが好きで、小さいころ、しょっちゅう近くの山へ連れていってくれました。山を歩きながら歌を教えてくれた
とせなさんは語っています。
そんな自由な環境で育ったせなさんは、将来の夢として「小説家か絵描き」を選びました。当時としては珍しいことでしたが、お父さんは「好きな方向に進めばいい」と、その夢を支持してくれたのです。
娘がモデル?作品に込められた子育ての記憶
せなさんの作品には、実は隠された主人公がいました。「あーんあんの絵本」シリーズに登場する女の子は、実はせなさん自身の娘さんがモデル。自身の子育て経験を、そのまま絵本という形で残したのです。
娘は『ママはしょっちゅうあたしのことを使うんだから』とぼやいていました
と、せなさんは笑顔で語っています。そんな娘さんも今では絵本作家として活躍し、せなさんの作品の文章を手がけるようになりました。
世代を超えて愛され続ける理由
なぜせなさんの作品は、これほどまでに長く愛され続けているのでしょうか。それは、作品の中に込められた「本物の気持ち」があるからかもしれません。
自身も教育熱心な母との思い出があったせなさんは、「散々小言を言われて勉強が嫌いになったから」と、自分の子どもには一度も勉強しろとは言わなかったそうです。
そんな実体験から生まれた作品だからこそ、子どもの気持ちに寄り添い、親の思いも理解できる。そんな温かさが、50年という時を超えて、今なお多くの人々の心を癒し続けているのではないでしょうか。