喜多川歌麿、葛飾北斎、東洲斎写楽――。
浮世絵の巨匠たちには、ある共通点がありました。
それは全員、ある一人の男のもとで才能を開花させたこと。
その男の名は、蔦屋重三郎。
のNHK大河ドラマ『べらぼう』の主人公です。
親なし、金なし、画才なし。
"三無し"の少年は、なぜ江戸一の文化プロデューサーになれたのでしょうか?
蔦屋重三郎って何者?江戸時代の"スーパープロデューサー"
現代で例えるなら、こんな感じです。
- 出版社の社長さん
- 芸能事務所の会長さん
- 広告代理店の社長さん
- アートギャラリーのオーナー
これら全部を、たった一人でこなした人物。
それが蔦屋重三郎でした。
、今の浅草寺の裏手にあたる新吉原で生まれた重三郎。
7歳の時に母親と生き別れ、その後、吉原で茶屋を営む家の養子になります。
「え?吉原って…あの吉原?」
はい、その通り。
当時の吉原は、遊郭として知られる一方で、芸術や文化の発信地でもありました。
お茶、お花、和歌、書道など、様々な文化が花開いていた場所だったんです。
23歳になった重三郎は、新吉原の大門口で小さな貸本屋を始めます。
今でいう本のレンタル店ですね。
でも、彼の野望はそれだけではありませんでした。
このように、蔦屋重三郎は吉原という特別な環境で育ち、そこで培った経験を活かして本屋を始めたのです。
では、なぜそこから江戸一の文化プロデューサーへと上り詰めることができたのでしょうか?
その秘密は、彼の"才能を見抜く目"にありました。
次は、その驚くべき才能発掘の手腕についてお話ししましょう。
天才発掘の名手!歌麿・写楽を世に送り出した手腕
蔦屋重三郎の最大の功績。
それは、数々の"埋もれた才能"を発掘したことです。
その代表が、喜多川歌麿。
当時はまだ北川勇助という名の無名の青年画家でした。