- せいやが経験した「いじめ」の実態とは
- なぜ誰にも相談できなかったのか
- 文化祭のコントが人生を変えた瞬間
- 「逃げてもいい」今だから言える本音
- お笑い芸人になるまでの意外な道のり
- 10万部突破の半自伝に込めた思い
いじめられてないかのようにツッコんだりしてた
人気お笑いコンビ・霜降り明星のせいやが、高校時代のいじめ体験を語った言葉です。
、彼の半自伝的小説は発売からわずか5日で10万部を突破。
その反響の理由は、「笑い」で窮地を乗り越えた、リアルな体験談にありました。
せいやが経験した「いじめ」の実態とは
高校1年生の時、クラスで早く人気者になりたいと思い、ボケやツッコミをしていたせいや。
ある日、クラスメイトがゴミ箱にゴミを投げ入れる様子を見て「スリーポイント!」と実況したところ、誰も笑ってくれませんでした。
なんやあいつ
。
その一言から、いじめは始まりました。
中学時代はテレビに出演経験もあり、サッカー部で生徒会長も務めた人気者だったせいや。
その反動が、高校での苦難を一層深刻なものにしていったのかもしれません。
中学時代の輝かしい経験が、高校では逆効果となってしまいました。
そんなせいやは、なぜ誰にも助けを求められなかったのでしょうか?
なぜ誰にも相談できなかったのか
親から学校で楽しんでるって思われてるのが常なんで、子どもは。相談するっていうのは、めっちゃ難しいことやと思います
せいやは当時を振り返り、このように語っています。
実は、母親や担任の先生は異変に気付いていました。
円形脱毛症になるほど追い詰められていたせいやを心配し、三者面談も行われました。
でも、せいやは「いじめられている」と認めることができませんでした。
その理由は2つ。
「親も心配するし…」という家族への思いやりと、「それをきっかけにもっといじめられるかもしれない」という不安でした。
周りの大人たちは気づいていたものの、せいや自身が助けを求められない状況が続きました。
しかし、思いもよらない場所で、人生の転機は訪れます。
文化祭のコントが人生を変えた瞬間
高校の文化祭。
いじめグループから「お前ひとりで作れや」と言われ、せいやは『リアル桃太郎』というコントを一人で考えました。
絶対負けたらあかんと思って、もう死ぬ気で一人芝居やって説明しましたね
と、せいやは当時を振り返ります。
結果は大成功。
「こんなやつが、こんなんできんの」という驚きの声が上がり、周囲の見る目が変わっていきました。
照明、音響、脚本、演出をすべて担当し、主役も演じたせいやは表彰されることに。
この文化祭での体験は、せいやに大きな気づきをもたらしました。
では、この経験から生まれた、今だからこそ伝えたいメッセージとは?
「逃げてもいい」今だから言える本音
逃げた方がいいですよ。立ち向かわなくていいです
意外に思えるかもしれませんが、これがせいやからのメッセージです。
僕は別に闘ってないんですよ。笑いではね返したっていう言い方をすることもありますけど、笑いに逃げただけ
と語るせいや。
音楽、ゲーム、睡眠など、自分の好きなことに逃げることを勧めています。
「逃げる」ことは決して恥ずかしいことではなく、自分を守る賢い選択肢の一つだったのです。
そんなせいやが最初に選んだ道は、意外にも教師になることでした。
お笑い芸人になるまでの意外な道のり
実は、いじめ経験からせいやは教員を目指していました。
しかし、運命は思わぬ方向へ。
現在の相方・粗品から「こいつと組んだら、もっと面白いネタができる」と誘われ、人生が大きく動き出します。
「この先の人生で、こんなに必要とされることないやろな」。
その言葉に心を動かされ、教員の道を諦め、お笑いの世界へ。
いじめという苦しい経験が、思いもよらない形で現在の成功につながっていました。
その体験を綴った半自伝には、どんな思いが込められているのでしょうか?
10万部突破の半自伝に込めた思い
笑いって対人やから、向かっていったみたいになってますけど、僕にはただ笑いっていう逃げ場所があっただけなんです
この言葉には、重要なメッセージが込められています。
必ずしも「立ち向かう」必要はない。
でも、「そんなやつらに、人生終わらされてたまるか」という気持ちは持ち続けてほしい。
せいやの半自伝的小説が多くの人の心を揺さぶったのは、この率直なメッセージにあるのかもしれません。