「菅田将暉の弟 紅白初出場が内定」
この見出しに、多くの若者が違和感を表明しています。
SNSではこっちのけんとさんで十分通じる
弟じゃなくてちゃんと名前を書いてあげて
といった声があふれ、メディアの表現の在り方に一石を投じる形となりました。
なぜ、この表記は問題視されているのでしょうか?
そこには、実力で這い上がった一人のアーティストの物語と、現代のメディアが抱える課題が見え隠れしています。
表記への違和感が広がる理由
「はいよろこんで」を聴いたことがない人を探す方が難しいかもしれません。
TikTokを中心に爆発的な人気を集め、総再生回数140億回を突破。
新語・流行語大賞にノミネートされるほどの社会現象となりました。
JO1さん、香取慎吾さん、小林幸子さんなど、幅広いアーティストとコラボし、世代を超えた人気を獲得。
若い世代にとって「こっちのけんと」は、すでに確固たる一つのブランドとなっています。
こうした実績がある中での「菅田将暉の弟」という表記。
「若者には『こっちのけんと』の方が兄より知名度があるのでは」という指摘も見られます。
アーティストとしての苦悩と決意
実は「こっちのけんと」という名前には、深い意味が込められています。
大学時代、アカペラグループで全国大会2連覇を達成。
しかし卒業後は一般企業に就職します。
そこで双極性障害(そううつ病)を発症。
会社を退職する決断を迫られました。
会社員時代の自分を「あっちのけんと」、本当にやりたいことを追求する今の自分を「こっちのけんと」と名付けた。
この芸名には、自分らしく生きる決意が刻まれているのです。
中学時代から兄との比較に苦悩してきたという彼。
だからこそ「弟」という肩書きではなく、一人のアーティストとして認められることを望む声が共感を呼んでいるのかもしれません。
メディアの表現を考える
なぜメディアは「菅田将暉の弟」という表記を選んだのでしょうか?
有名人との血縁関係は、確かに読者の興味を引く要素です。
しかし、SNS時代を生きる若者たちは、そうした「わかりやすい紹介」よりも、その人自身の実績や才能を重視する傾向にあります。
このような実力があるアーティストを、なぜ他者との関係性で紹介する必要があるのか。
その問いかけが、今回の議論の本質と言えるでしょう。
新しい時代の評価軸
紅白出場は、(1)その年の活躍(2)世論の支持(3)番組の企画・演出への適合性という3つの基準で選考されると言われています。
「はいよろこんで」の社会的影響力、世代を超えた支持、そして多彩なコラボレーション実績。
これらは全て、こっちのけんとさん自身の才能と努力で掴み取ったものです。
以前、バックコーラスとして紅白に出演した経験もあるそうです。
しかし今回は、紛れもなく主役として。
自らの力で勝ち取った舞台なのです。