「最初は浜田と二人でやりたい」――。
この言葉に、誰もが耳を疑いました。
活動休止中の松本人志が、ついに沈黙を破ったのです。
でも、なぜ大手メディアでもなく、テレビ局でもなく、一人の個人記者に思いを託したのでしょうか?
松本人志が個人記者を選んだ"意外な理由"
、クリスマスの日に松本人志の「第一声」が届きました。
場所は意外にも、Yahoo!ニュースの「エキスパート」というプラットフォーム。
インタビューを行ったのは、大阪を拠点に活動する芸能記者の中西正男さんでした。
中西さんって、どんな人なんでしょう?
大阪を拠点に全国で活動する芸能記者で、お笑い芸人の取材を数多く手がけてきた方なんです。
特徴的なのは、自分の意見はほとんど書かないこと。
インタビューを受けた人の言葉を、できるだけそのまま届けることにこだわっているんです。
松本さんは、過去に出演していた『ワイドナショー』でこんな不満を漏らしていました:発言の一部だけを切り取って報道する
というメディアのやり方への不信感です。
だからこそ、「言葉をそのまま伝える」中西さんを選んだ。
これが松本さんの選択の理由だったんじゃないかって、多くの人が見ているんです。
「ダウンタウンチャンネル(仮)」で目指す新たな挑戦
「来春あたりにスタートしたい」
松本さんが明かした新しい場所、それが「ダウンタウンチャンネル(仮)」です。
でも、なんで地上波テレビじゃなくて、独自のチャンネルなんでしょう?
「恐らくアルバイトをされている学生さんよりも少ない」
「本当に振り込まれない」
「心がズタズタになる」
こんな言葉で、その時の気持ちを正直に語っています。
この経験から、松本さんは大きな気づきを得ました。
「自分は"雇われの身"だった」という現実です。
スポンサーや局の許可がないと、仕事ができない。
だから「自分で場所を作る」という決断に至ったんです。
浜田雅功との"意外な関係"と再タッグへの思い
「何をやるにしても、最初は浜田と二人でやりたい」
この言葉を聞いた中西さんは、思わず二度見したそうです。
なぜって?松本さんがこんなにストレートに相方への思いを語ることって、めったにないからなんです。
活動休止中、松本さんと浜田さんは2〜3回会っています。
その時、松本さんは「ごめん、ごめん」と謝罪したそうです。
でも浜田さんからは、特にクレームはなかったとか。
40年以上一緒にやってきた二人だからこそ、こんな風にストレートな言葉が出てきたのかもしれません。
"3回目の売れ"への覚悟と、ファンへの想い
「大阪芸人は2回売れないといけない」
これ、関西のお笑い界でよく聞く言葉なんです。
どういうこと?まず大阪で売れて、それから東京で売れる。
この2段階を経て、やっと全国区の芸人になれる――そんな意味が込められています。
でも松本さんは言います。
「僕は3回売れないといけない」
なぜ3回目?それは、今の自分は「更地に戻った」という強い意識があるからなんです。
松本さんの言葉をよく聞いてみると、実はすごく前向きなんです。
「このまま終わる気はない」。
この言葉の裏には、新しい挑戦への強い気持ちが感じられます。