- 6歳で大河ドラマ主演から波乱の人生へ
- 「托卵報道」の真相と、語られなかった結婚の経緯
- 「DNA鑑定より大切なもの」父親としての決断
- 住所不定から再起へ〜芸術家としての覚悟
- 4歳の息子へ贈る『いつの日か、また会おう!』
「血のつながりより大切なものがある」
1980年代、天才子役として一世を風靡した黒田勇樹さん。、2度目の離婚が報じられ、「実子かどうかの疑い」という言葉がネットを賑わせました。しかし、その真相は私たちが想像していたものとは大きく異なっていました。
いま42歳となった黒田さんが、息子への想い、そして新たな挑戦について語ってくれました。
6歳で大河ドラマ主演から波乱の人生へ
6歳でNHK大河ドラマ「武田信玄」に抜擢された黒田さん。その後、8歳という史上最年少で帝国劇場のミュージカル「オリバー!」の主演を務めるなど、まさに天才子役として輝かしい活躍を見せました。
には、ドラマ「人間・失格~たとえばぼくが死んだら」でいじめの加害者役を演じ、最高視聴率28.9%を記録。その演技力は映画「学校III」で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞するほどでした。
しかし28歳で俳優業から一度離れ、「ハイパーメディアフリーター」として活動。その後32歳で俳優として復帰し、現在は映画監督や舞台演出も手がけています。
このように、黒田さんの人生は常に予想外の展開の連続でした。そして、また新たな転機が訪れることになります。みなさんは、その転機の真相をご存じでしょうか?
「托卵報道」の真相と、語られなかった結婚の経緯
今年7月、黒田さんの離婚が報じられました。SNSでの投稿がきっかけとなり、「托卵」という言葉が話題となりましたが、実際の状況は全く異なっていました。
「そもそも、息子が自分の本当の子どもであろうとなかろうと、どうでもよかった」
と黒田さん。結婚のきっかけは、舞台に出演予定だった元妻から突然の妊娠報告を受けたことでした。
「子どものことを考えて籍を入れよう」という決断。元妻は舞台本番まで1週間という時期でしたが、黒田さんは代役も用意し、万全の体制を整えました。その甲斐あって、舞台は大成功。その数日後に息子さんが誕生したのです。
このように、結婚の経緯から見えてくるのは、子どもを第一に考える黒田さんの姿勢でした。では、なぜ離婚という決断に至ったのでしょうか?
「DNA鑑定より大切なもの」父親としての決断
「離婚したくなかった」と語る黒田さん。自身も母子家庭で育った経験から、息子には同じ思いをさせたくなかったそうです。
しかし、元妻にDNA鑑定を求めても応じてもらえず、信頼関係を築くことができませんでした。「血がつながっていなくても親子」という思いを持ちながらも、お互いの信頼関係を重視した結果の決断でした。
「息子は大事な存在だった」と語る黒田さん。4歳の息子さんの将来を考え、悩んだ末の決断でした。このように、DNA鑑定の結果よりも、より大切なものを見つめた決断だったのです。
では、この経験を経て、黒田さんはどのような道を歩み始めたのでしょうか?
住所不定から再起へ〜芸術家としての覚悟
離婚後、約1年間にわたって住所不定の生活を送った黒田さん。友人や親戚の助けを借りながら、新しい生活の一歩を踏み出しました。
驚くべきことに、離婚裁判も弁護士を立てずに自身で対応。「こんな経験なかなかできない」と、その経験さえも前向きに捉えています。
現在は、公開の舞台「いつの日か、また会おう!」の演出を手がけるなど、精力的に活動。野田秀樹さんや山田洋次さんから学んだ芸術への姿勢を大切にしながら、新たな挑戦を続けています。
4歳の息子へ贈る『いつの日か、また会おう!』
最新作「いつの日か、また会おう!」は、実は4歳の息子に見せたくて作った作品だったと明かす黒田さん。
「深く考えないでほしい。楽しく生きてほしい」という息子へのメッセージを込めて作られた本作。いつか息子さんが観に来てくれることを願いながら、黒田さんは新たな道を歩み始めています。
5年後でも10年後でも、会いたいときに会える父親でいたい