元横綱で人気相撲解説者として知られる北の富士勝昭(きたのふじかつあき)さんが、に東京都内の病院で亡くなりました。
82歳でした。
公式発表によると、死因は「老衰」とされています。
北の富士さんについて、多くの方が気になっているポイントを詳しく見ていきましょう。
なぜ解説を休んでいた?体調不良の真相
から体調を崩し、8場所連続で解説を休養していた北の富士さん。
最後の公の場となったのは初日のビデオ出演でした。
この時、お久しぶりです
と挨拶し、照ノ富士や大の里への期待を語る姿を見せています。
実は北の富士さんは、以前から健康面での課題を抱えていました。
に脳ドックで未破裂動脈瘤が発見され治療を受け、末には不整脈による心臓手術も経験。
また、過去にうつ病を発症したことも明らかになっています。
輝かしい経歴と解説者としての功績
北海道旭川市出身の北の富士さんは、第52代横綱として10回の優勝を誇る実力者でした。
特筆すべきは玉の海との「北玉時代」。
45場所で43回という数多くの対戦を重ね、横綱同士の対戦成績は6勝4敗。
まさにライバルと呼ぶにふさわしい関係でした。
[画像: 北の富士 千代の富士 北勝海]
解説者としての北の富士さんといえば、歯に衣着せぬ物言いが特徴的。
「大関の相撲じゃない」「稽古不足」など、時に厳しい言葉も。
しかし、に御嶽海の優勝を見た際には「泣かせていただきました」と感動を素直に表現するなど、相撲を心から愛する人柄が伝わってきました。
お別れの会と最期の様子
北の富士さんの訃報はに報じられ、すでに近親者による家族葬が執り行われました。
印象的なのは、棺に納められた品々。
原稿用紙、ボールペン、国語辞典という、解説者として最後まで真摯に向き合った仕事道具だったそうです。
お別れの会は12月に八角部屋での開催が予定されています。
最後となった7月場所のVTR出演では、相撲への変わらぬ愛情を感じさせる言葉を残しています。
照ノ富士や大の里への期待を語り、一緒に楽しみましょう
と結んだその姿は、多くのファンの心に深く刻まれることでしょう。
82歳という年齢は、日本人男性の平均寿命とほぼ同じ。
60代での引退が多い大相撲界では、比較的長生きだったと言えます。
に80歳を迎えた際には「85歳まで生きて、孫の成長を見たい」と語っていました。