- 春高バレー10度の優勝を導いた名将が90歳で逝去
- コートでは厳しく、寮では優しく ~二面性を持つ指導スタイル~
- オリンピック選手を育てた"魔法の指導法"とは
- 最後の誕生日会に集まった100人のOGたち
「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」
これは、に90歳で逝去した八王子実践高校バレーボール部の名将・菊間崇祠さんの座右の銘でした。
この言葉通り、菊間さんは春の高校バレーと高校総体で計10回の優勝という驚異的な実績を残し、三屋裕子さんや大林素子さんなど、数多くのオリンピック選手を育て上げました。
春高バレー10度の優勝を導いた名将が90歳で逝去
1958年から八王子実践高校でバレーボールの指導を始めた菊間さん。
その指導歴は実に半世紀以上に及びます。
1960年卒から46期生まで、100名以上の選手を育て上げました。
その中には、三屋裕子さん、大林素子さん、狩野舞子さんなど、日本を代表する選手が数多く含まれています。
特に春の高校バレーと高校総体での10度の優勝は、高校バレー界に大きな足跡を残しました。
今年3月には90歳の誕生日を迎え、100人以上のOGが集まって祝福の会が開かれました。
来年も開催を楽しみにしていたそうですが、約1カ月前の転倒による骨折がきっかけとなり、誤嚥性肺炎により永眠されました。
このように、菊間さんは高校バレー界に大きな功績を残した指導者でした。
では、なぜここまで多くの選手たちから慕われ続けたのでしょうか?
その秘密は、独特の指導スタイルにありました。
コートでは厳しく、寮では優しく ~二面性を持つ指導スタイル~
菊間さんの指導は、コートの内と外で大きく異なっていたと言います。
練習中は厳しい指導で知られ、妥協を許さない姿勢で選手たちを鍛え上げました。
しかし寮生活では、まるで別人のように優しい"お父さん"になったそうです。
本紙評論家の大林素子さんは寮に帰ると普通の〝お父さん〟という感じでしゃべりやすかった
と振り返っています。
菊間さんは選手たちと寮で生活を共にしながら、一人一人に寄り添う指導を心がけていました。
この二面性こそが、多くの選手たちの心をつかんだ理由の一つだと考えられています。
こうした温かい指導者としての一面は、ご自身のお子さんである菊間千乃さん(元フジテレビアナウンサー、現弁護士)との関係にも表れていました。
『身体に気をつけろよ』と、娘の挑戦を常に気にかけ、応援し続けたそうです。
このように、厳しさと優しさを併せ持つ指導者だった菊間さん。
では、具体的にどのようにしてオリンピック選手を育て上げたのでしょうか?
オリンピック選手を育てた"魔法の指導法"とは
菊間さんの指導の特徴は、選手一人一人の個性を見抜き、その力を最大限引き出すところにありました。
特に注目すべきは、技術指導だけでなく、選手たちの精神面での成長にも重きを置いていた点です。
寮生活を通じて、バレーボールだけでなく、人としての成長も見守り続けました。
菊間さんが大切にしていたのは、選手たちの可能性を信じ抜くことだったと言います。
それは座右の銘にも表れており、「為せば成る」という言葉通り、諦めない心を選手たちに伝え続けました。
実際、菊間さん自身も7度のがんを克服するなど、強靭な精神力の持ち主でした。
その生き様自体が、選手たちへの最高の指導となっていたのかもしれません。
このように、技術と精神の両面から選手を育てる菊間さんの指導法は、まさに"魔法"のようだったと言えます。
その証拠に、教え子たちは今でも父のような存在として、菊間さんのことを慕っているのです。
最後の誕生日会に集まった100人のOGたち
今年3月、菊間さんの90歳の誕生日を祝うため、100名以上のOGが集まりました。
1960年卒から46期生まで、幅広い世代の教え子たちが駆けつけたのです。
この会は同期生たちが幹事となって企画されたそうです。
大林さんは先生の嬉しそうな顔が忘れられません
と、その時の様子を振り返っています。
菊間さんは来年の開催も楽しみにしていたそうですが、それは叶いませんでした。
しかし、これだけ多くの教え子たちが集まったことは、菊間さんの指導者としての功績を最もよく物語っているのではないでしょうか。