- 米米CLUBでの活躍 - シティポップの才能が開花
- 温かな人柄と音楽センス - 石井竜也が振り返る思い出
- ALSとの闘い - 前向きな姿勢で音楽活動継続
- 介護施設での最期の日々 - 音楽への愛を貫いて
米米CLUBの元メンバー・ジュリアーノ勝又さんが逝去しました。
にALSを公表してから約1年、最期まで音楽への情熱を持ち続けた勝又さんの軌跡を振り返ります。
温かな人柄と類まれな音楽センスで多くの人々を魅了し続けた勝又さんの生涯をご紹介します。
米米CLUBでの活躍 - シティポップの才能が開花
、米米CLUBに加入したジュリアーノ勝又さん。
その加入は、バンドに新たな音楽の可能性をもたらしました。
シティポップの要素を取り入れた斬新なアレンジで、バンドの音楽性をさらに豊かなものにしていったのです。
特筆すべきは、そのアレンジ力の高さ。
バンドのボーカル・石井竜也さんも
シティポップのアレンジ力を隣で感じて、その凄さに鳥肌が立った
と評価しているほどでした。
このように、米米CLUBでの2年間は、勝又さんの音楽的才能が存分に発揮された時期でした。
では次に、バンドメンバーたちとの交流や、その人柄についてお伝えしていきましょう。
みなさんは、音楽以外の勝又さんの魅力をご存知でしょうか?
温かな人柄と音楽センス - 石井竜也が振り返る思い出
眉間に皺なんて見たことないくらい、いつもニコニコされている方
石井竜也さんのこの言葉が、勝又さんの人柄を端的に表しています。
バンド活動中は、メンバーたちと「くだらないことを馬鹿笑い」する場面も多く、その明るさで周囲を和ませる存在でした。
米米CLUB解散後も、石井さんのソロ活動をサポート。
番組「アンモナイト」では、そのアレンジ力を存分に発揮し、新たな音楽の可能性を追求し続けました。
温かな人柄と卓越した音楽センスを兼ね備えた勝又さん。
その生き方は、のALS公表後も変わることはありませんでした。
続いて、闘病生活の中でも音楽への情熱を持ち続けた日々についてお伝えします。
病と向き合いながら、どのように音楽活動を続けていったのでしょうか?
ALSとの闘い - 前向きな姿勢で音楽活動継続
、勝又さんは自身のインスタグラムでALS(筋萎縮性側索硬化症)の発症を公表しました。
体の筋肉を動かす神経が徐々に弱くなっていくこの難病に対しても、持ち前の前向きな姿勢は変わりませんでした。
病状が進行する中でも音楽活動を継続し、SNSを通じて自身の状況を発信し続けました。
その投稿からは、困難な状況の中でも音楽を愛し続ける姿勢が伝わってきます。
闘病生活の中でも音楽への情熱を失わなかった勝又さん。
からは介護施設での生活が始まりましたが、そこでの日々はどのようなものだったのでしょうか?
介護施設での最期の日々 - 音楽への愛を貫いて
介護施設に入所後も、勝又さんは音楽と共に過ごす日々を送りました。
最後の投稿となったのメッセージには
部屋では目の前に鍵盤も設定してあり、もう弾けなくなりましたが音楽を聴きながら頭では演奏出来ておりまする〜
という言葉が残されています。
病状が進行する中でも「毎日なんとか明るめに生活できております」と、前向きな姿勢を貫き通しました。
YouTubeで自身の作品を聴くことができる喜びも語り、最期まで音楽への愛を持ち続けました。