- イモトアヤコの7年ぶり登山チャレンジとは?【イッテQ最新企画】
- 中島健郎さんはどんな人?世界が認めた登山家の素顔
- イモトと中島健郎さんの心温まる思い出エピソード
- スイスアルプス4164メートル登頂の感動シーン
- まとめ:山が繋ぐ永遠の絆と新たな一歩
イモトアヤコさん(39歳)が7年ぶりの海外登山に挑戦し、スイスアルプスの標高4164メートル「ブライトホルン」への登頂を果たしました。この登山には特別な意味がありました。それは昨年K2で滑落した山岳カメラマン・中島健郎さんを偲ぶ気持ちを胸に秘めた挑戦だったのです。
「なんかずっと(中島さんが)感じる中で登る気がする、ずっといる気がする」
そう語るイモトさんの目には涙が光り、多くの視聴者の心を打ちました。単なるバラエティ番組の企画を超えた、命の尊さと挑戦する意味を考えさせる感動の登山となりました。
イモトアヤコの7年ぶり登山チャレンジとは?【イッテQ最新企画】
2025年3月9日放送の「世界の果てまでイッテQ!」で、イモトアヤコさんが「珍獣ハンターイモトワールドツアー in スイス」として7年ぶりの海外登山に挑みました。 雪で覆われた極寒のアルプス山脈、標高4164メートルのブライトホルンで"ご来光"を目指すという企画です。
今回の登山には特別な思いがありました。昨年8月にパキスタンのK2(8611メートル)で滑落した山岳カメラマンでクライマーの中島健郎さんへの思いです。中島さんはイッテQの登山企画でもカメラマンとして参加し、イモトさんを支えてきた大切な存在でした。
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なぜイモトは7年も登山をしていなかったの?
イモトさんが長い間海外登山から離れていた理由については放送内で詳しく語られていませんでしたが、この7年間でイモトさんの生活には大きな変化がありました。2020年に「イッテQ」のディレクター・石崎史郎さんと結婚し、家族を持ったことで、命の危険と隣り合わせの登山への向き合い方も変わったのではないでしょうか。
「大切な人ができると、挑戦することの意味や命の重みについての考え方も変わりますよね。イモトさんも同じだったのかもしれません」とスタジオでは語られていました。
あなたも大切な家族ができて、思い切った挑戦をするときに慎重になった経験はありませんか?
ブライトホルンってどんな山?
ブライトホルンは標高4164メートルのスイスアルプスの山で、イモトさんにとって思い出深い場所です。 実はイモトさんは2012年、マッターホルン(4478メートル)登山に挑戦する前の"予行練習"としてこの山に登っています。そして、その時も一緒だったのが中島健郎さんでした。
「ブライトホルンは2012年にマッターホルンに登る際にトレーニングとして登った山でもあります」とイモトさんはインスタグラムでも明かしています。今回の企画は、偶然にも中島さんとの思い出の山に再び登ることになったのです。
この山は技術的には比較的登りやすいと言われていますが、標高4000メートルを超える厳しい環境。酸素が薄く、氷と雪に覆われた山道は決して甘くありません。そんな場所へ39歳のイモトさんが7年ぶりに挑戦したのです。
中島健郎さんはどんな人?世界が認めた登山家の素顔
中島健郎さんは1984年、奈良県高取町生まれの登山家・山岳カメラマンです。 「イッテQ」の登山企画ではカメラマンとして参加し、イモトさんを心強くサポートしていました。
「健郎さんは私にとって大切な山の仲間であり、いつも優しくサポートしてくださり心の底から頼っていて、健郎さんがいるというだけで安心して登ることができました」
イモトアヤコさん "
でも、中島さんは単なるテレビ番組のカメラマンではありません。実は世界的に評価された素晴らしい登山家だったんです。
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3度のピオレドール賞を受賞した世界的登山家
中島さんはピオレドール賞という登山界のアカデミー賞とも言われる世界的な賞を3度も受賞した偉大な登山家でした。 これはとても珍しいことで、日本人として誇るべき実績です。
主な功績としては:
- シスパーレ北東壁(7,611m/パキスタン)の未踏ルートの登攀
- ラカポシ南壁(7,788m/パキスタン)の未踏ルートの登攀
- ティリチミール北壁(7,708m/パキスタン)の初登攀
また、エベレストを含む8000メートル峰を3座も登頂しています。
「未踏ルート」とは、これまで誰も登ったことがない新しい道のことです。登山家たちにとって、新しいルートを開拓することは大きな挑戦であり栄誉なんです。中島さんは世界トップクラスの登山家だったのです。
K2での滑落事故とは何があったの?
2024年7月27日、中島さんは友人の平出和也さんとともに、世界第2の高峰K2(8611メートル)の西壁を登っていました。 その途中、標高約7,550メートル付近で滑落してしまいました。
K2は世界で最も危険な山の一つと言われています。技術的な難しさ、急な斜面、不安定な気象条件など、様々な危険が潜んでいるのです。
2人の位置はヘリコプターから確認されましたが、標高が高く急峻な場所であり接近が困難でした。さらに上部には大きな氷塔があり崩落の恐れもあったため、家族の同意の下で救助活動が中止され、中島さんと平出さんは帰らぬ人となりました。
極限に挑み続けた登山家の覚悟と情熱について、私たちは想像することしかできません。でも、彼らが愛した山と自然の美しさ、そして挑戦する生き方には心から敬意を表したいですね。
イモトと中島健郎さんの心温まる思い出エピソード
イモトさんと中島さんは、イッテQの登山企画を通じて10年以上の絆を育んできました。 中島さんはカメラマンとしてだけでなく、イモトさんの心の支えとなる存在だったようです。彼らの関係性を物語るエピソードをいくつか紹介します。
マッキンリーで2日連続登頂した中島さんの優しさ
2015年6月、イッテQの企画でアラスカの最高峰マッキンリー(6,168m)登山に挑戦したイモトさん。 苦労の末に山頂に到達したものの、あいにく雲海に覆われてしまい、せっかくの頂上からの絶景を見ることができませんでした。
中島さんは「せっかく登ったのに景色が撮れなかった」とイモトさんの残念な気持ちを察し、翌日、なんと一人で再び山頂まで登り、絶景を撮影してくれたのです。6000メートル級の山を2日連続で登るという信じられない行動です。
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これはイモトさんにとって忘れられない思い出となっています。「2日連続でマッキンリー登頂してくれたなぁ」とインスタグラムでも振り返るほどです。
中島さんのこの行動は、ただのカメラマンの仕事を超えた、使命感と優しさから生まれたものでしょう。視聴者に最高の映像を届けたい、イモトさんの頑張りを形に残したいという強い思いがあったのではないでしょうか。
「健郎さんがいるだけで安心できた」イモトの信頼
イモトさんが中島さんについて語るとき、その信頼の深さが伝わってきます。
「休憩のたびに飴ちゃんみんなに配ってくれてたなぁ」
イモトアヤコさんのインスタグラムより "
「しんどい時いつも優しく励ましてくれたなぁ」
「とんでもない状況でも笑顔で撮影してくれたなぁ」
このようなちょっとした優しさや気遣いの積み重ねが、イモトさんの心の支えになっていたようです。極限状態の登山では、一緒にいる仲間の存在が何よりも心強いものです。
「健郎さんがいるというだけで安心して登ることができました」というイモトさんの言葉からは、絶対的な信頼感が伝わってきます。
あなたの人生にも、ただそばにいるだけで安心できる人はいますか?そんな存在がいることは、大きな幸せですね。
スイスアルプス4164メートル登頂の感動シーン
さて、いよいよ今回の登山の様子を詳しく見ていきましょう。 イモトさんが7年ぶりに挑んだブライトホルン(4164m)は、雪と氷に覆われた極寒の環境。経験豊富な登山家でも油断できない場所です。
「7年ぶりの海外雪山」とイモトさん自身も語るように、久しぶりの高所挑戦は想像以上に厳しいものだったようです。
天国じいさんもリタイア!?リーダーに成長したイモト
今回の登山で驚きだったのは、イモトさんのベテラン登山仲間「天国じいさん」こと貫田宗男さんがリタイアしてしまったこと。 さらに、カメラマンも高山病にかかるという予想外の展開がありました。
「天国じじいの貫田さんが衰えた?と感じてしまうのもしかたない事なのか...」とコメント欄でも驚きの声が上がっていました。
そんな状況の中、これまでならリードされる側だったイモトさんが、逆にチームのリーダー的存在となっていったのです。
「最後のあたりはイモトさんが隊のリーダー的な存在になって皆を鼓舞してた」
視聴者コメントより "
「イモトさん、あなたはホントにすごい方です」
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視聴者からも称賛の声が寄せられていました。スタジオの宮川大輔さんも「健郎さんのことを思い出しながらも…それが強さにつながったと思う」と感動した様子でコメントしています。
イモトさんは7年の間に、精神的にも大きく成長していたのですね。
「ずっと一緒に登ってる気がする」感動の山頂シーン
「基本山で会ってた仲間だから山に来るとより喪失感を感じる」と涙を流しながらも、イモトさんは「なんかずっと(中島さんが)感じる中で登る気がするな、ずっといる気がする。不思議な感覚ですけど」と語りました。
この言葉が多くの視聴者の心を打ちました。目標としていたご来光には間に合わなかったものの、イモトさん一行は見事に山頂へとたどり着きます。
「ご来光には間に合わなかった。非情にも登山途中で登る朝日。でも…感動したなぁ。貫田さんも脱落の中、精一杯やり抜こうとするイモトさんを照らす陽光。グッと来た」
視聴者コメントより "
「中島さん、多分、傍に居たね」
という感想が示すように、単なるテレビ番組の一コーナーを超えた感動が画面から伝わってきたようです。
イモトのインスタグラムでの心揺さぶる思い出投稿
放送後、イモトさんはインスタグラムで中島さんへの思いを綴りました。
「イッテQブライトホルン登頂 観(み)てくださった方ありがとうございます 約7年ぶりの海外雪山 愛すべき山のジジイ達と一緒に頂上での御来光には間に合いませんでしたが 何とかヨーロッパアルプスの景色、道中御来光をお届けできました」
"
そして、中島さんについてこう語っています。
「健郎さんは私にとって大切な山の仲間であり いつも優しくサポートしてくださり心の底から頼っていて、健郎さんがいるというだけで安心して登ることができました 今回久々に登山をして感じたのは健郎さんがいないということをなんというか山に行くことでより実感してしまいそれがすごく寂しくて寂しくてたまりませんでした」
イモトアヤコさんのインスタグラムより "
最後には「そして健郎さんありがとう」という言葉で締めくくられていました。
大切な人を失っても、その思い出が力になって前に進むことができる—そんなイモトさんの姿に、多くの人が感動し、自分自身の経験と重ね合わせたのではないでしょうか。
まとめ:山が繋ぐ永遠の絆と新たな一歩
イモトアヤコさんの7年ぶりの登山は、単なる番組企画ではなく、亡き仲間・中島健郎さんを偲びながら自身の成長を示す感動的な挑戦となりました。
中島健郎さんは世界的登山家として3度のピオレドール賞を受賞し、8000メートル峰も複数登頂した偉大な人物。そして何より、イモトさんにとっては「いるだけで安心できる」大切な山の仲間でした。
「健郎さんと平出さんの死は、今でも山屋たちの心に深く刻まれています」というコメントにあるように、登山界にとっても大きな損失でした。しかし、彼らの情熱と挑戦する精神は、多くの人の心に生き続けているのです。
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39歳になったイモトさんは、7年前とは違う強さと覚悟を持って山に向き合っていました。かつては頼る立場だったイモトさんが、今度は周囲を引っ張るリーダーへと成長していたのです。その背中には、きっと中島さんの存在があったのでしょう。
山は時に厳しく、命を奪うこともある場所です。しかし同時に、人と人とを深く結びつけ、人間の成長を促す特別な場所でもあります。イモトさんと中島さんの絆は、まさに山が紡いだ永遠の友情といえるでしょう。
「健郎さんもきっと一緒に登っていたと思いますよ」というコメントにあるように、中島さんの魂は今もイモトさんと共に山を登り続けているのかもしれません。
今回の登山企画を通じて、私たちは命の尊さ、挑戦することの意味、そして絆の大切さについて考えさせられました。イモトさんの新たな挑戦がこれからも続くことを、そして中島健郎さんの偉大な功績が多くの人に知られることを願っています。
Q1: 中島健郎さんはどんな人物だったの?
1984年奈良県生まれの登山家・山岳カメラマンで、「ピオレドール賞」と呼ばれる登山界のアカデミー賞を3度受賞した世界的に評価の高い登山家でした。未踏ルートの開拓や8000メートル峰の登頂など多くの功績を残しています。
Q2: イモトアヤコさんはなぜ7年も登山をしていなかったの?
放送では詳しく語られていませんが、この間にイモトさんは石崎史郎さんと結婚するなど生活環境が変わり、命の危険と隣り合わせの登山への向き合い方も変わったと考えられています。
- 2025年3月9日放送「世界の果てまでイッテQ!」
- イモトアヤコさん公式インスタグラム
- 中島健郎さんのウィキペディアページ