2024年10月、池袋暴走事故で禁錮5年の実刑判決を受けていた飯塚幸三氏が、93歳で老衰により死亡しました。
事故発生から死亡までの5年間、事件は大きな注目を集め続けましたが、その間には「なぜ逮捕されなかったのか」「遺族との和解はどうなったのか」など、多くの疑問が投げかけられてきました。
この記事では、それらの疑問に一つずつ答えながら、事故の真相から遺族との和解まで、できるだけわかりやすく解説していきます。
事故の概要|何が起きたのか
頃、東京都豊島区東池袋の交差点で、当時87歳だった飯塚幸三氏が運転する車が暴走。
母子2人が死亡し、9人が重軽傷を負う事故が発生しました。
事故当時の車の速度は、最後の衝突直前に時速96キロにまで達していたことが後の調査で判明しています。
これは制限速度の約2倍という驚くべき数字でした。
なぜ逮捕されなかったのか?真相と誤解
事故後、飯塚氏が逮捕されなかったことについて、「上級国民だから特別扱いされている」という声がSNSを中心に広がりました。
しかし、実際には明確な理由がありました。
飯塚氏は事故で胸を骨折し、入院。
警視庁は「身柄拘束・取り調べに耐えられない」と判断し、さらに本人が捜査に協力的で、逃亡や証拠隠滅の恐れがないと判断したため、逮捕を見送ったのです。
このような判断は特別なものではなく、警察の一般的な捜査方針に沿ったものだったことが、後に明らかになっています。
裁判での態度変化|否認から謝罪へ
最初の公判で、飯塚氏は「車に異常があった」と主張し、アクセルとブレーキの踏み間違いを否定しました。
この態度に対し、遺族は強い失望感を示しました。
しかし、時間の経過とともに、飯塚氏の態度には大きな変化が見られるようになります。
、遺族に宛てた謝罪の手紙で、ついにブレーキとアクセルの踏み間違いを認めたのです。
遺族との和解プロセス|面会から死亡まで
、飯塚氏と遺族の面会が実現。
この場で飯塚氏は「高齢ドライバーに早く免許を返すよう伝えてほしい」というメッセージを残しました。
遺族の松永拓也さんは、飯塚氏の死後、「彼が亡くなる前に、面と向かって話ができてよかった」と語っています。
さらに「彼が僕の再発防止に対する思いに応えてくれたから、怒りとか憎しみだけじゃない感情で生きていけるきっかけを作ってくれた」と述べ、和解への道筋が見えていたことを示唆しています。
社会への影響|高齢運転対策の進展
この事故を契機に、高齢ドライバーの運転免許自主返納が大きく増加。
には過去最多となる60万1,022件を記録しました。
また、法制度も大きく変わりました。
からは、一定の違反歴がある75歳以上のドライバーに対し、運転免許更新時の運転技能検査が義務付けられることになりました。