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【追悼】市川團蔵が遺した伝統芸能の真髄|知られざる73年の軌跡に迫る

 

、歌舞伎界に大きな損失が訪れました。

歌舞伎俳優の市川團蔵さんが、73年の生涯を閉じたのです。

滋味深い演技で知られ、歌舞伎の伝統を守り続けた團蔵さん。

その半生には、芸の道一筋に生きた役者の姿がありました。


この記事では、八代目團蔵の孫として生まれ、自身も重要無形文化財保持者となった九代目市川團蔵の生涯を、その人となりとともにご紹介します。

歌舞伎ファンはもちろん、日本の伝統芸能に興味がある方にも、團蔵さんの魅力が伝わることでしょう。


 

市川團蔵 舞台写真

市川團蔵 舞台写真


 

1. 市川團蔵はどんな人?基本プロフィールと代表作

東京都出身の市川團蔵さんは、に生まれました。

本名を市川和雄といい、歌舞伎の名門・市川家の血を引く役者でした。

祖父は八代目市川團蔵、父は舞踊家の三世柏木衛門という芸術家の家庭で育ちました。




 

、わずか5歳で歌舞伎座の舞台に立ちます。

初舞台は『義経千本桜』の六代君役

この時、初代市川銀之助を名乗りました。

子役時代から周囲の期待を集めた團蔵さんは、その後、二代目尾上松緑に師事し、本格的な役者修行を始めます。


 

九代目市川團蔵 歌舞伎座

九代目市川團蔵 歌舞伎座


 

2. なぜ團蔵は歌舞伎界の重鎮と呼ばれたのか?その真相と実績

、團蔵さんは大きな転機を迎えます。

歌舞伎座での『時今也桔梗旗揚』『源平布引瀧』『船弁慶』の三作品で、九代目市川團蔵を襲名したのです。

この襲名により、名実ともに歌舞伎界の重鎮としての地位を確立しました。




 

團蔵さんの芸の特徴は、滋味深さと貫禄を兼ね備えた演技にありました。

老け役から敵役まで、幅広い役柄をこなし、特に『義経千本桜』の武蔵坊弁慶、『髪結新三』の弥太五郎源七、『盟三五大切』の六七八右衛門などが当たり役として知られています。


には、重要無形文化財(総合認定)保持者として認定され、伝統歌舞伎保存会の会員となりました。

これは、團蔵さんの技術と芸術性が国からも高く評価されたことを示しています。


3. 知られざる市川團蔵の素顔|歌舞伎以外の活動と人柄

團蔵さんは歌舞伎俳優としてだけでなく、日本舞踊柏木流の十代目宗家としても活躍していました。

また、テレビドラマへの出演も数多く、NHK大河ドラマ『赤穂浪士』『源義経』『武田信玄』などに出演。

伝統芸能の世界に留まらない幅広い活動を展開していました。




 

特筆すべきは、後進の育成に注いだ情熱です。

國立劇場での歌舞伎俳優研修の講師を務め、若手役者の育成に力を注ぎました。

この活動は、歌舞伎の伝統を次世代に確実に伝えていくという、團蔵さんの強い思いの表れだったと言えるでしょう。


 


 

4. 最後の舞台から現在まで|團蔵が歌舞伎界に残した足跡

、歌舞伎座での『四千両小判梅葉』が團蔵さんの最後の舞台となりました。

隅の隠居という役で、長年培った演技力を存分に発揮した舞台だったと言われています。


團蔵さんは第19回眞山青果賞奨励賞を受賞するなど、その功績は各方面から高く評価されていました。




 

 

松竹は追悼コメントで「堂々とした風格とよく通る声を持ち、荒事・実事・敵役から老け役まで、貫禄と滋味の深まった演技で舞台を盛り立てていた」と、その存在の大きさを表現しています。

 

73年の生涯を歌舞伎一筋に生きた市川團蔵

その存在は、単なる役者以上の意味を持っていました。

伝統を守りながら新しい表現も追求し、後進の育成にも力を注いだ團蔵の精神は、これからも歌舞伎界に生き続けることでしょう。

葬儀は近親者で執り行われましたが、その遺志は多くの後進たちによって確実に受け継がれていくことでしょう。


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