- 1. 火野正平さんの最期|家族に見守られた穏やかな別れ
- 2. なぜ体調を崩したのか?腰の持病と骨折の影響
- 3. 最後の仕事『にっぽん縦断 こころ旅』から追悼番組まで
- 4. 火野正平さんの75年|素顔と魅力
- 5. 追悼番組情報まとめ|いつ どこで 何が見られるのか
俳優の火野正平さんが、75歳で亡くなりました。
所属事務所の発表によると、死因は心筋梗塞(心臓の筋肉に血液が届かなくなる重い病気)だったとのことです。
14年もの間、NHK BSの人気番組『にっぽん縦断 こころ旅』で自転車に乗る旅人として親しまれてきた火野さん。
今年の春には腰痛の悪化により番組を休止することになり、多くのファンが心配していました。
この記事では、火野さんの最期の様子や、体調悪化の経緯、そして残された作品についてお伝えします。
1. 火野正平さんの最期|家族に見守られた穏やかな別れ
所属事務所の発表によると、火野さんは自宅で家族に見守られながら、穏やかに最期を迎えられたとのことです。
4月から持病の腰痛の治療に専念されていた火野さんは、最後まで仕事復帰への強い思いを持ち続けていたといいます。
葬儀は家族葬として既に執り行われました。
このように、静かに、しかし家族とともに最期の時を過ごされた火野さん。
では、なぜ体調を崩されることになったのでしょうか?
2. なぜ体調を崩したのか?腰の持病と骨折の影響
火野さんは長年、腰痛に悩まされていました。
からは、その治療に専念することになります。
しかし、夏に入って状況は一変します。
腰を圧迫骨折してしまったのです。
圧迫骨折とは、背骨の骨が潰れるような状態の骨折のことで、特に高齢者にとっては深刻な影響を及ぼすことがあります。
絶対安静を必要とする状態となり、それまで自転車で日本中を旅していた活動的な生活から一転、体を動かせない日々が続きました。
このような急激な生活の変化が、全身の体調に影響を与えたと考えられています。
火野さんの主治医によると、安静状態が続くことで体力が低下し、それが心臓への負担につながった可能性があるとのことです。
このように、腰の怪我が思わぬ形で全身に影響を及ぼしていったのです。
では、火野さんの最後の仕事となった『こころ旅』について、詳しく見ていきましょう。
3. 最後の仕事『にっぽん縦断 こころ旅』から追悼番組まで
から14年間、火野さんは『にっぽん縦断 こころ旅』の旅人として全国を巡ってきました。
実は火野さん自身、番組のオファーを受けた時俺でええの?
と戸惑ったそうです。
しかし、その素朴な人柄と温かな視点は、視聴者の心を掴んで離しませんでした。
、最後となった熊本県でのロケでも、いつもの優しい笑顔を見せていたといいます。
NHKは追悼番組として、に火野さんの最後のロケとなった「1240日目 熊本県芦北町」の放送を決定。
また、からにかけて「蔵出しスペシャル」も放送されます。
火野さんの14年にわたる旅の集大成とも言えるこれらの番組。
では、そもそも火野さんはどんな俳優だったのでしょうか?
4. 火野正平さんの75年|素顔と魅力
火野正平という名前には、実は素敵な由来があります。
本名は二瓶康一さん。
「火野正平」は作家の池波正太郎さんが名付け親となり、「火のように力強く」という願いを込めて「火野」、池波さんの「正」から「正平」と名付けられました。
、わずか13歳でドラマ「少年探偵団」でデビュー。
のNHK大河ドラマ「国盗り物語」での豊臣秀吉役で大ブレイクを果たします。
その後も数々の時代劇や映画に出演し、「元祖プレイボーイ」としても知られた火野さん。
しかし、晩年は『こころ旅』の温かな旅人として、新たな魅力を見せてくれました。
火野さんの75年の生涯は、まさに七変化。
そんな多彩な表情を見せてくれた火野さんを、追悼番組では改めて振り返ることができます。
5. 追悼番組情報まとめ|いつ どこで 何が見られるのか
NHK BSでは以下の追悼番組が放送されます:
- 〜:「1240日目 熊本県芦北町」(最後のロケ)
- 〜〜:「蔵出しスペシャル」
- その他、過去の思い出深いエピソードも放送予定