、16年ぶりのJRA女性騎手としてデビューし、"菜七子フィーバー"という社会現象を巻き起こした藤田菜七子さん。
に引退を表明してから約1ヶ月、待望のSNS投稿で自身の思いを語りました。
8年間の軌跡と、競馬界への新たな思いに迫ります。
藤田菜七子が語った引退後初のメッセージ全文
、藤田さんは自身のInstagramで引退後初となる投稿を行いました。
「この度は私の行動によりファンの皆様、ならびに多くの競馬関係者の方々に多大なるご迷惑をお掛け致しました事を心よりお詫び申し上げます」
そう切り出した投稿では、競馬界への思いも語られています。
「今後につきましてはまだ何も決まっておりませんが、許されるならば、今後の競馬界の益々の発展に、私なりに尽力させていただけたらと考えております」
この言葉からは、競馬界への強い思いが伝わってきます。
では、なぜ藤田さんは引退することになったのでしょうか?
なぜ引退?経緯を時系列で解説
引退の直接のきっかけとなったのは、調整ルーム内での通信機器(スマートフォン)使用が発覚したことです。
これによりから騎乗停止処分を受け、同日に引退届を提出。
JRAに受理され、騎手としての活動に終止符を打つことになりました。
このような形での引退となりましたが、藤田さんが競馬界に残した足跡は決して小さくありません。
それでは、彼女が築き上げた記録を見ていきましょう。
8年間の軌跡|知られざる記録と驚きの統計
藤田さんの8年間の活躍は、数々の記録として残されています:
- JRA通算166勝(うち重賞1勝)
- 2019年女性ジョッキーズワールドカップ総合優勝
- JRA所属女性騎手初のG1レース出走
- JRA女性騎手初の重賞制覇
これらの記録は、単なる数字以上の意味を持っていました。
では、藤田さんの活躍は競馬界にどのような影響を与えたのでしょうか?
藤田菜七子が競馬界に与えた影響とは
デビュー当時、16年ぶりのJRA女性騎手として注目を集めた藤田さん。
その活躍は「菜七子フィーバー」と呼ばれる社会現象を引き起こしました。
特筆すべきは、のフェブラリーステークスでの活躍です。
コパノキッキング号との組み合わせで5着に入り、JRA所属女性騎手として初めてG1レースでの入着を果たしました。
同年12月には、同じくコパノキッキング号でカペラステークスを制覇。
これはJRA女性騎手初の重賞制覇という歴史的な瞬間となりました。
藤田さんの活躍は、女性騎手の可能性を大きく広げたと言えるでしょう。
では、引退後の藤田さんは、どのような思いを抱いているのでしょうか?
今後の展望|競馬界への貢献への思い
引退後初の投稿で、藤田さんは競馬界への貢献を強く願う気持ちを表明しました。
具体的な形はまだ決まっていないものの、「許されるならば」という言葉とともに、競馬界の発展への思いを語っています。
小学6年生の時にテレビの競馬中継を見て騎手を志し、13歳でJRA競馬学校に入学。
8年8ヶ月の騎手人生を通じて、多くのファンに夢と感動を与え続けた藤田さん。