「許されるならば、今後の競馬界の発展に尽力したい」
、藤田菜七子さんがインスタグラムに投稿したこの言葉に、多くのファンが励ましのコメントを寄せています。
JRA(日本中央競馬会)の女性騎手として最多となる166勝を記録し、女性初の重賞制覇も達成。
しかし今年10月、規則違反により27歳という若さで引退することになりました。
今回は藤田さんの謝罪投稿の内容と、8年8ヶ月の騎手人生を振り返りながら、競馬界に残した功績と今後の可能性について見ていきましょう。
引退後初の謝罪投稿、ファンへの思いを綴る
、約2ヶ月半ぶりとなるインスタグラムの投稿で、藤田さんは次のような言葉を綴りました。
「この度は私の行動によりファンの皆様、ならびに多くの競馬関係者の方々に多大なるご迷惑をお掛け致しました事を心よりお詫び申し上げます」
この投稿では、付での騎手引退を改めて報告。
また、今後についてまだ何も決まっておりませんが、許されるならば、今後の競馬界の益々の発展に、私なりに尽力させていただけたら
という思いも述べています。
投稿には投稿ずっと待ってたよ
これからの人生を楽しんで下さい
といった温かい声が多数寄せられています。
このように、ファンへの謝罪と感謝の気持ちを丁寧に伝えた藤田さんですが、なぜ突然の引退という決断に至ったのでしょうか?
引退の経緯 - スマートフォン使用問題とは
藤田さんの引退は、調整ルーム(騎手が競馬の準備をする部屋)での規則違反が発端でした。
までの期間に、持ち込み禁止の通信機器(スマートフォン)を複数回使用していたことが判明したのです。
調整ルームでの通信機器使用が禁止されている理由は、公平な競争を確保するためです。
外部との通信により、馬の状態やbetting(馬券)に関する情報が漏れる可能性を防ぐ必要があるためです。
この規則違反がに明らかになり、JRAは同月11日から裁定委員会の議定があるまでの騎乗停止処分を決定。
藤田さんは10月10日に引退届を提出し、翌11日にJRAが受理しました。
このように重大な規則違反により突然の引退となりましたが、藤田さんは8年8ヶ月の騎手生活で、どんな記録を残してきたのでしょうか?
歴史に刻まれる記録 - 166勝の軌跡
生まれの藤田さんは、、JRAとしては16年ぶりの女性騎手として川崎競馬場でデビュー。
その後の活躍は、競馬界に大きな影響を与えることになります。
デビューからわずか51戦目となる、福島競馬場でサニーデイズに騎乗して初勝利を挙げました。
そして2019年には、二つの大きな記録を打ち立てます。
10月のコパノキッキングとの東京盃制覇でJRA女性騎手初の交流重賞勝利を達成。
さらに12月には同じコンビでカペラステークスを制し、女性騎手として初めてJRAの平地重賞を勝利するという快挙を成し遂げました。
通算成績は166勝。
これはJRA女性騎手としての最多記録です。
この輝かしい記録の数々は、藤田さんが競馬界にもたらした大きな変化の一部に過ぎません。
では、彼女の活躍は競馬界にどのような影響を与えたのでしょうか?
競馬界への影響 - 道を切り開いたパイオニア
藤田さんの活躍は、競馬界における女性の可能性を大きく広げました。
特に注目すべきは、以下の3つの点です。
- メディアでの露出増加により、競馬の認知度向上に貢献
- 女性騎手としての実績が、後進の目標となる
- 性別に関係なく実力で評価される環境づくりに貢献
菜七子スマイル
の愛称で親しまれた笑顔と、地道な努力で積み重ねた結果は、多くの人々に勇気と希望を与えてきました。
このような功績を残した藤田さんですが、引退後の展望についてファンはどのような反応を示しているのでしょうか?
ファンの反応と今後への期待
インスタグラムでの謝罪投稿には、数多くの励ましの声が寄せられています。
「何かしら競馬の発展にメディアなどに出て欲しいな」
「またいつか菜七子スマイルを見せてください」
「これからの人生を楽しんで下さい」
多くのファンが、競馬界での新たな形での活躍を期待しているようです。
藤田さん自身も競馬界の発展に尽力したい
と述べており、今後も何らかの形で競馬に関わっていく可能性が考えられます。