- 料理研究家・枝元なほみさんが69歳で逝去 - 難病と闘いながらも料理を楽しむ姿勢を貫く
- 枝元なほみさんってどんな人? エダモンの人生と料理の歩み
- 特発性間質性肺炎とは?枝元さんが向き合った難病について
- 病気と共存しながら料理を続けるエダモンの工夫
- 多くの人に影響を与えた枝元なほみさんの料理と社会活動
- まとめ - 枝元なほみさんの生き方から学ぶこと
料理研究家の枝元なほみさんが2025年2月27日に69歳で亡くなりました。「エダモン」の愛称で親しまれた枝元さんは、2019年から特発性間質性肺炎という難病と闘いながらも、最後まで料理を楽しむ姿勢を貫きました。この記事では、枝元なほみさんの人生や病気との向き合い方、そして多くの人に影響を与えた料理と社会活動について、わかりやすく紹介します。
料理研究家・枝元なほみさんが69歳で逝去 - 難病と闘いながらも料理を楽しむ姿勢を貫く
公式発表された枝元なほみさんの訃報
📅 2025年2月27日、枝元なほみさんの公式Xアカウントで、「【訃報】枝元なほみに関するお知らせ」として、「かねてより病気療養中でしたが、2月27日69歳にて逝去いたしました」と発表されました。また、「故人とご遺族の意向により通夜および葬儀は近親者で執り行いました」とのことです。
枝元さんは2019年に特発性間質性肺炎(肺の組織が硬くなっていく難病)に罹患。その後、2023年にコロナに感染したことで病状が悪化し、療養生活を送っていました。それでも最後まで料理への情熱は失わず、体調と向き合いながら活動を続けていました。
ファンや視聴者からの追悼の声
訃報を受け、多くのファンがSNSやニュースサイトのコメント欄で追悼の言葉を寄せています。
「枝元さんを知ったのは、朝の情報番組はなまるマーケットの料理コーナー。近年は社会活動も行い、世のため人のため、社会をおいしいもので満たし、あたたかく照らしてくれました」
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「小学生の頃、『えだもとなほみのしあわせキッチン』をDSでしていました。私に料理を教えてくれたのはこのゲームでした。ありがとうございました!」
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あなたも枝元さんの料理番組や本に触れたことがありますか?多くの人が「エダモン」から料理の楽しさを教わったようです。
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枝元なほみさんってどんな人? エダモンの人生と料理の歩み
役者から料理研究家へ - 意外な経歴
📅 1955年3月22日、神奈川県横浜市で生まれた枝元なほみさん。横浜市立中田中学校、神奈川県立横浜平沼高等学校を経て、明治大学文学部英米文学科を卒業しています。
実は枝元さん、最初から料理研究家だったわけではありません。1981年、太田省吾を中心とした劇団転形劇場の研究生になり、役者をしながら東京都中野区の無国籍レストラン「カルマ」に8年間勤務していました。
劇団で皆の食事を作っていたことがきっかけで、劇団解散後に料理研究家としての道を歩み始めたのです。その後、料理研究家の阿部なをさんに出会い、師事するようになりました。
テレビや料理本で広がったエダモンの世界
テレビでは数多くの料理番組に出演し、多くの視聴者に親しまれました。 「ひとりでできるもん!どこでもクッキング」(NHK教育テレビ)や「キユーピー3分クッキング」(CBCテレビ)などの番組で講師を務めました。特に「ひとりでできるもん!」では「味々エダモト」として子どもたちに料理の楽しさを伝えていました。
また、著書は70冊以上にもおよび、「カット野菜のおかず」「枝元なほみの愛の元気食堂」「まるごとル・クルーゼ」など、家庭料理から本格料理まで幅広いジャンルの本を執筆。漫画家の西原理恵子さんとの共著「西原理恵子と枝元なほみのおかん飯」シリーズも人気でした。
「むかご」から始まった社会活動
料理だけでなく、社会活動にも積極的に取り組んでいました。 ホームレスの自立を支援する雑誌「ビッグイシュー日本版」には、料理のレシピを掲載するコーナーがあり、NPO法人ビッグイシュー基金の理事も務めていました。
また、📅 2011年1月には自身が行っている農業支援活動団体「チームむかご」を社団法人化。同年の東日本大震災後は被災地支援の活動(にこまるプロジェクト)も同法人で行っていました。
「むかご」とは山芋のつるにできる小さな球状の芽のこと。地域の農業を支え、人と人とのつながりを大切にする枝元さんの活動にぴったりの名前です。
枝元さんの本や番組で思い出に残っているものはありますか?コメント欄で教えてくださいね。
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特発性間質性肺炎とは?枝元さんが向き合った難病について
中学生でもわかる特発性間質性肺炎の説明
Q: 特発性間質性肺炎とはどんな病気ですか?
A: 特発性間質性肺炎は、肺の組織が少しずつ硬くなっていく病気です。息を吸い込むときに酸素を取り入れる肺の部分が傷ついて、呼吸が苦しくなります。「特発性」というのは、はっきりした原因がわからないという意味です。
Q: どんな症状がありますか?
A: 主な症状は、息切れや呼吸困難、乾いた咳などです。階段を上ったり、少し歩いたりするだけでも息切れがするようになります。
Q: 治療法はありますか?
A: 治療法としては、炎症を抑える薬物療法や、酸素を取り入れやすくするための酸素療法などがあります。残念ながら完全に治すことが難しい病気で、徐々に症状が進行することが多いと言われています。
枝元さんが病気を公表してからの闘病生活
📅 2019年に特発性間質性肺炎を発症したことを公表した枝元さん。その後も料理活動は続けていましたが、⚠ 2023年にコロナウイルスに感染したことで病状が悪化しました。間質性肺炎がある方は、新型コロナウイルスの感染によって症状が重くなりやすいと言われています。
間質性肺炎の患者さんは、感染症には特に注意が必要です。新型コロナウイルスなどの呼吸器感染症にかかると、症状が急激に悪化する可能性があります。
にもかかわらず、枝元さんは病気と共存しながら、できる範囲で料理や執筆活動を続けていました。病気を抱えながらも前向きに生きる枝元さんの姿勢から、私たちは何を学べるでしょうか?
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病気と共存しながら料理を続けるエダモンの工夫
酸素チューブを付けながらの料理番組出演
枝元さんは病気が進行した後も、酸素チューブを鼻に装着したまま番組に出演していました。 病気を公表し、実際の姿を見せることで、同じような病気の人たちに勇気を与えていたのです。
「酸素チューブを装着して番組内でお料理していたのを覚えています」
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というコメントが示すように、その姿が多くの視聴者の記憶に残っていることがわかります。
体力や状況に合わせた料理の工夫
間質性肺炎によって枝元さんの料理スタイルも変わりました。あるファンのコメントによると:
「酸素吸入していると直火が使えないので、電磁調理器に変えて、体力も落ちているのでお鍋や器具も軽いものに、体調の良いときにまとめて作る。など、ご自分と同じような境遇の方々にも、自分の好きなものを調理して楽しむ方法があることを発信しておられました」
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このように、枝元さんは自身の経験から、病気を抱える人でも料理を楽しめる工夫を伝え続けていました。
課題 | 工夫 | メリット |
---|---|---|
酸素吸入中は直火が使えない | 電磁調理器(IH)に変更 | 安全に調理できる |
体力の低下 | 軽い調理器具を使用 | 疲れにくく調理できる |
体調の波がある | 体調の良い時にまとめて調理 | 無理なく食事を楽しめる |
病気を抱える人へのメッセージ
枝元さんの姿勢からは、「病気があっても自分のできることを工夫して続ける」というメッセージが伝わってきます。病気と共存しながらも、好きなことを諦めない姿勢は、同じ境遇の人はもちろん、多くの人の励みになったことでしょう。
あなたも日常生活の中で、何か工夫して楽しんでいることはありますか?困難があっても、ちょっとした工夫で楽しめることがあるかもしれません。
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多くの人に影響を与えた枝元なほみさんの料理と社会活動
視聴者の心を温めたエダモンの料理
枝元さんの料理は、複雑なテクニックや高級食材を使ったものではなく、家庭でも作りやすい温かみのあるものが多かったです。 「ほんわかした雰囲気の枝元さんにこちらまで癒されてしまいそうでした」というコメントにもあるように、料理だけでなく、その人柄も人々の心を温めていました。
料理は、見ているだけでも楽しく、✓ 食べる人の気持ちを考えた優しさにあふれていたと言われています。
ビッグイシュー活動など社会への貢献
先述のように、枝元さんはビッグイシュー日本版での活動を通じて、ホームレスの方々の自立支援にも尽力していました。また、「チームむかご」での農業支援や、東日本大震災の被災地支援など、料理の枠を超えた社会貢献活動にも積極的に取り組んでいました。
📅 2020年には「枝元なほみのリアル朝ごはん」という本も出版し、最後まで料理を通じて人々とつながり続けていました。
これからも残り続けるエダモンのレシピと精神
枝元さんはもういませんが、70冊を超える著書や番組の映像、そしてなにより多くの人の心に残る料理の記憶は、これからも私たちの生活を豊かにしてくれることでしょう。
「枝元さんのようにはなかなかできませんが、だれかの力になる活動、小さなことからコツコツ、進めていきますね」
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というファンのコメントにあるように、枝元さんの精神は多くの人に受け継がれていくと思います。
料理を通じて誰かを幸せにした経験はありますか?それは枝元さんも大切にしていたことなのかもしれませんね。
まとめ - 枝元なほみさんの生き方から学ぶこと
- 多方面での活躍:料理研究家として多くのレシピを世に送り出し、社会貢献活動にも熱心
- 独自の経歴:役者から料理研究家へという異色の経歴も、「人を喜ばせたい」という思いが原点
- 病気への向き合い方:特発性間質性肺炎と闘いながらも、できることを工夫して前向きに生きる姿勢
- レガシー:温かなレシピは、これからも多くの人の心と体を温め続ける
枝元なほみさんは料理を通じて、人と人とのつながりを大切にしていました。 役者から料理研究家へという異色の経歴も、すべてが「人を喜ばせたい」という気持ちにつながっていたのかもしれません。
特発性間質性肺炎という難病と闘いながらも、できることを工夫して前向きに生きる姿勢は、多くの人の心に残り、これからも影響を与え続けるでしょう。
枝元さんの温かなレシピは、これからも多くの人の心と体を温め続けていくことでしょう。心よりご冥福をお祈りいたします。
あなたの枝元なほみさんの思い出や、影響を受けたレシピなどがあれば、ぜひコメントで教えてください。
参考資料:
- 枝元なほみさん公式Xアカウント
- 報道各社ニュース
- 視聴者のコメント
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