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【独占】天海祐希、兄との57年の絆|知られざる下町育ちの素顔と最期の別れ

 

天海祐希 近影

天海祐希 近影






お兄様の妹に生まれて、ほんっと よかった

宝塚歌劇団で史上最高とも言われた男役トップスターから、今や日本を代表する女優となった天海祐希。その凛とした佇まいの陰には、常に2歳年上の兄の存在があったと言われています。

57年間共に歩んできた最愛の兄との永遠の別れを迎えた天海祐希。その背筋をピンと伸ばした姿からは、兄への深い思いと、家族を支えていく決意が感じられたといいます。


下町育ちの天海家 - 上野の街に根付いた一家の物語




上野 商店街 風景

上野 商店街 風景






上野の街の中心部から程近い場所に建つビル。その最上階に天海家の住まいがありました。建築業を営む父、美容院を切り盛りする母。そして2歳年上の兄、7歳下の弟という5人家族で暮らしていたと言われています。




 

家族が暮らしたビルは、街のシンボル

実は、このビルには興味深い特徴があったといいます。天海家の所有物である建物全体を使って、兄は結婚後も別フロアに住み、いわば2世帯同居のような形で暮らしていたそうです。

地域に深く根付いていた兄は、町内会の副会長を務めながら、地元の神社の総代としても活躍。お祭りの取り仕切り役として、多くの地域住民から信頼を集めていたと言われています。


このように、上野の街に深く根付いていた天海家。その中でも、天海祐希と兄との関係は特別なものだったようです。

では、幼い頃から変わらない兄妹の絆は、どのように育まれていったのでしょうか?


兄と天海祐希 - 幼少期から変わらない深い絆




天海さんは小さい頃からお兄さんのマネをして野球をしたり、お父さんと一緒に民謡を歌ったり。まさに下町の典型的な仲の良い兄妹でした

と、天海家の知人は語ります。




 

特に印象的だったのは、兄独特の話し方やしぐさ。天海祐希は、ふとした瞬間に見せる下町らしいチャキチャキした話し方について、これは兄の影響なのと笑っていたそうです。

大人になってからも、兄妹で一緒にカラオケに行くことが楽しみだったという天海祐希。芸能界という華やかな世界に身を置きながらも、兄との時間を大切にしていたと言われています。


知られざるエピソード - 兄が天海に頼んだたった一つのお願い




ラッツ&スター ライブ写真

ラッツ&スター ライブ写真






普段は家族に頼み事をすることの少なかった兄が、たった一度、天海祐希に願いを打ち明けたことがあったといいます。

それは、シャネルズ(現ラッツ&スター)のライブチケットを求める切実な願いでした。兄のためならばと動いた天海祐希は、チケットを入手しただけでなく、メンバーとの面会まで実現させたそうです。

この出来事をきっかけに、メンバーの佐藤善雄氏と兄は親交を深め、その友情は最期まで続いたと言われています。実際、今回の葬儀にも佐藤氏の姿があったといいます。




 

家族の支え - 天海祐希を育てた下町の人情

68歳で父を亡くした天海家。大きな柱を失った悲しみの中、天海祐希は母のために、父の遺骨からダイヤモンドを作り、いつも一緒にいられるようにとプレゼントしたと言われています。

そして約3年前、兄の闘病が始まりました。一級建築士として建築会社を経営していた兄は、治療に専念するため、仕事から身を引く決断をしたそうです。

その間、天海祐希は仕事の合間を縫って兄のもとに通い続けたと言われています。私がしっかりして、家族を支えなければという思いが、彼女を奮い立たせていたのかもしれません。


おわりに:兄から受け継いだもの

葬儀では、兄が生前から希望していた曲、ラッツ&スターの『TONIGHT』が流れたそうです。下町育ちの不器用な優しさと人情味、そして妹を思う温かな心。

59歳という若さでの別れでしたが、兄から受け継いだものは、天海祐希の中で確かに生き続けているのではないでしょうか。時折見せる人情味あふれる表情や話し方の中に、今も兄の影響を感じることができます。


お兄様の妹に生まれて よかった

その言葉には、57年間変わることのなかった兄妹の絆が、しっかりと刻まれているように思えます。


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