早朝5時。
大阪市西成区の街が目覚める時間。
半世紀にわたって労働者たちの希望の場所だった「あいりん総合センター」で、新たな1日が始まりました。
しかし、この朝は違いました。
重機が次々と到着し、作業員たちがバリケードを設置。
長年この場所で暮らしてきた人々の退去が始まったのです。
「行くところがないんや。
これからどうしたらいいんや」
ある高齢の男性は、そう不安な声を漏らしました。
なぜ今、強制退去が行われることになったのか
あいりん総合センターは、の開設以来、大阪・西成区の日雇い労働者たちの生活を支えてきた13階建ての建物です。
職業安定所(ハローワーク)、市営住宅、病院などが入った複合施設でした。
しかし、築50年以上が経過し、建物の安全性に深刻な問題が出てきました。
特に地震が起きた時の建物の安全性への不安から、に施設は閉鎖されることになりました。
ところが、閉鎖後も数十人の方々が建物の敷地で生活を続けていました。
「新しい施設では、これまでのような休む場所がなくなってしまう」という不安があったからです。
このような状況を受けて、土地を持っている大阪府が裁判所に相談。
、最高裁判所で退去を求める判断が最終的に決まり、今回の退去要請につながりました。
あいりん総合センターはどんな場所だったのか
毎朝5時、センターのシャッターが開くと同時に、たくさんの人々が集まってきていました。
この場所は「寄せ場」と呼ばれ、建設現場や工場での仕事を探す人と、働き手を探す会社の人々が出会う場所でした。
建物には、仕事を紹介するハローワークの他にも、病院や市営住宅が入っていました。
シャワールーム、食堂、理髪店もあり、働く人々の生活を総合的に支える施設として機能していたのです。
建て替えで何が変わるのか
大阪府は、このセンターを取り壊した後、頃までに新しい建物を建てる計画を示しています。
病院については、すでにに近くの萩之茶屋小学校跡地に移転しました。
新しい建物には、仕事を紹介するハローワークなどが入る予定です。
ただし、これまでのような休憩スペースがどうなるのかは、はっきりとしていません。
このことが、今まで建物の敷地で生活していた人々の大きな不安の原因となっていました。
野宿者たちの今後は
今回の強制退去で、数十人の方々が生活の場所を失うことになります。
しかし、この記事を書いている時点では、この方々がどこで生活することになるのか、明確な情報はありません。
高齢の男性が話していた「行くところがない」という不安の声は、この問題の難しさを象徴しているのかもしれません。