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【追悼】ジュリアーノ勝又、米米CLUBが誇る"笑顔のアレンジャー"の知られざる素顔とは

 

眉間に皺なんて見たことないくらい、いつもニコニコされている方でした

米米CLUBのボーカル・石井竜也さんは、バンドの元メンバー、ジュリアーノ勝又さんをそう追悼しました。

、音楽シーンに大きな足跡を残した一人のミュージシャンが旅立ちました。

 

米米CLUB ジュリアーノ勝又

米米CLUB ジュリアーノ勝又


 



 

突然の訃報、音楽仲間からの追悼の声

米米CLUBの石井竜也さんが、自身のSNSで元メンバー・ジュリアーノ勝又さん(本名:勝又隆一さん)の訃報を伝えました。

からの解散まで米米CLUBのメンバーとして活動した勝又さん。

昨年10月に難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)を公表し、今年5月からは介護施設で療養生活を送っていました。

 

石井竜也 2024年

石井竜也 2024年


 

石井さんは「もう一度、勝又さん一緒に仕事をしたい!と、ずっと願っていました」と、込み上げる思いを語りました。

一緒に活動した仲間からは、その音楽性はもちろん、温かい人柄を惜しむ声が多く寄せられています。

このように、音楽仲間からの追悼の声からは、勝又さんがいかに愛される存在だったかがわかります。

では、なぜこれほど多くの人々の心を掴んだのでしょうか?その人柄と音楽家としての歩みを見ていきましょう。




 

音楽への情熱と温かい人柄

 

 米米CLUB 1995年

米米CLUB 1995年


 

勝又さんは1995年に米米CLUBに加入。

当時のメンバーが語るエピソードからは、その人柄の良さが伝わってきます。

くだらないことを馬鹿笑いしてくれたと石井さんが振り返るように、バンドの雰囲気を明るくする存在でした。

その一方で、音楽面での実力は本物。

特にシティポップと呼ばれる都会的な音楽のアレンジでは、その才能を遺憾なく発揮しました。

石井さんのソロ活動でも、番組「アンモナイト」でアレンジを手がけ、その実力の高さに「鳥肌が立った」と言わしめたほどです。

このように、明るい人柄と確かな音楽性を兼ね備えた存在でした。

では、米米CLUBでの活動は具体的にどのようなものだったのでしょうか?


米米CLUBでの活躍と音楽への貢献

 

米米CLUB ライブ写真

米米CLUB ライブ写真


 

米米CLUBでの2年間、勝又さんはアレンジャーとしてバンドの音楽性を支えました。

当時、米米CLUBは「浪漫飛行」「君がいるだけで」などのヒット曲を生み出し、その人気は絶頂期を迎えていました。

勝又さんの加入は、バンドに新しい音楽的可能性をもたらしたと言われています。

その後のバンド解散まで、重要なメンバーとして活動を続けました。



 

バンド解散後も音楽活動は継続。多彩な音楽性とアレンジ力は、多くのミュージシャンから高く評価されていました。

こうして音楽の道を歩んできた勝又さんでしたが、昨年、大きな試練が訪れます。それは、ALSという難病との闘いでした。


闘病生活と最後まで持ち続けた音楽への愛

昨年10月、勝又さんは自身のSNSでALSの発症を公表。

全身の筋力が衰えていく難病と診断されましましたが、その投稿からは前向きな姿勢が伝わってきました。

今年5月からは介護施設での生活を始めましたが、9月の投稿では「毎日なんとか明るめに生活できております」と、明るさを失うことはありませんでした。音楽を聴くことが何よりの癒しだったと綴っています。

最後のSNS投稿となった9月の言葉には、音楽への変わらぬ愛と、前を向いて生きる強さが表れていました。




 

おわりに

ジュリアーノ勝又さんは、音楽家としての才能と、人を魅了する人柄を持ち合わせた稀有な存在でした。

その笑顔と音楽は、多くの人々の心に深く刻まれています。

最後まで音楽を愛し続けた勝又さん。

その生き方は、私たちに音楽の持つ力と、人生を前向きに生きることの大切さを教えてくれているのかもしれません。

 

心よりご冥福をお祈りいたします。


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